ポールダンスならどこでも食えるかと思った

ポールダンスを始めて、私の人生は確実に良い方向に変化した。
一つ一つ感謝し始めたらキリがないほど、私はポールダンスを通じてたくさんの目には見えない贈り物を受け取ったと思う。
ポールダンスは私に、健康な体と食べていくのに困らない収入を与えてくれた。
会社員を辞めたい!と思ってすぐに辞めることができたのも、ポールダンサーとしてフルタイムで働けば当座は食べるのに困らないとわかっていたからだ。
もちろん水商売なので、普通の仕事と違っていつクビになるかわからなかったり、給料未払いになるかもしれない、とかリスクは多い。
それでもチップもあったし、いざとなったら他にもお店はあるし、とその辺はあまり深刻に捉えていなかった。
もとより上京した時は5万円しか持っていなかったわけで、何も持っていなかったところからの今。怖いものはない。
三畳一間でも暮らせるし、おかずが納豆だけでも別に大丈夫。電車賃がなかったら歩けばいい。
サバイブする術だけは常に考えて生きていた。
そう考えたら、多少のリスクはあれど、ポールダンサーはその日に現金でギャラをもらえるし、夢のような仕事だった。とはいえ、何も最初から「ポールダンサーとして働きたい!」と思っていたわけではない。
そもそも会社員だったときには、ポールダンサーだけで食べていけるかどうかすらわかっていなかった。
少しずつ人前に立つ機会が増え、ギャラの相場やショーパブのお給料の実態、どれくらいチップをもらえるのかを実感して、頭の中で電卓を叩きまくって「これならいける」と確信するまでは、必死に昼の仕事をしなければ、とありとあらゆる自分の可能性を探っていた。
DTPスクールに行ってみたり、やっぱり大学に行こうかなとパンフレットを取り寄せてみたり、かなり迷走していた。
結局は労働時間と収入のバランス、長期休みを自由に取れることを魅力に感じ、ポールダンサーを本業にするのもいいかもしれない、と徐々に思うようになった。

実はポールダンスを本業にしたいな、と思った要因の一つに、
「ポールダンスができたら世界中どこでも飯が食えそう」
というのがあった。
アメリカを中心に「ビジネスとしてのポールダンス」が広まって、インストラクターになってポールダンスを教えたり、イベントを開催することで収入を得ることも可能性として見出されつつあった。
アジア人でポールダンスが踊れて英語が話せれば、ビザによるけど他の国でも十分に食べていくことが可能なのではないか?と甘い夢を見ていた。
もしくは、旅をしながらお金を稼げるのではないか、と思った。
旅芸人。なりたい。本当になりたい。
諸国を旅しながら踊ったり歌ったりして日銭を稼ぎ、雨露をしのぐ場所があり、飯が食える生活。
何物にも代えがたい至福の旅。
世が世なら旅芸人の一座に入りたかった。入ったら入ったで大変なんだろうけど。

ポールダンサーに優しい国、日本

前述の通りアメリカやオーストラリアではポールダンスがビジネスとして成り立っているけれど、実は日本こそがポールダンサーにとって一番稼ぎやすい国だと思う。
これは日本には「ショーパブ」という独自のシステムがあるからに他ならない。
キャバクラと同様に横について接客をし、飲み物を作り、ホステスの役割をしながらもショータイムになったらステージで踊る。
ホステスの役割を担うことで、時給で確実にギャラが発生し、さらにはショーをすればチップももらえる。
ある程度のダンス・接客スキルがあればポールダンサー(兼ホステス)として生きていくことはそんなに難しくはない。
毎日ポールダンスをして、ギャラとチップをもらい、堅実に生きていればそこそこ貯金もできる。旅行好きな子は長期で休んで旅行に行ったりもする。休みがとりやすいところは水商売のいいところの一つだと思う。

いろいろな国でポールダンスを見たり、レッスンを受けたりして話を聞いた上で思うけれど、他の国でポールダンスのショーをするだけで食べていくのは相当に難しいと思われる。

先日訪れたスペインの実態を例に挙げてみる。
バルセロナ滞在中、大きなレッスンルームが3つもあるポールダンススタジオで10回ほどレッスンを受け、ポールダンサーの友達もできた。
レッスン中はお互いの技の補助をしあったり、何かと助け合うから自然と仲良くなれる。
普通に生きていたら何の接点もなさそうな人と、あっという間に親しくなるきっかけをくれる。
ポールダンスをしていてよかったなあと思う瞬間の一つだ。
1時間半のハードなレッスンを終えて、へとへとになり更衣室でゆっくり着替えをしていると、同じレッスンを受けていたキューバ人のイケメンポールダンサー、それからロシア人のスレンダーな美人ポールダンサーとお茶を飲みに行くことになった。
スタジオからすぐそばのカフェでコーヒーを飲み、それぞれの身の上話で盛り上がる。
キューバ人のイケメンは全身タトゥーだらけ、前髪に金のメッシュを入れた黒髪で、かなりロックな外見だけれど、お堅い会社でプログラマーをしているらしい。ポールダンスは楽しいエクササイズだと思ってる、と言っていた。
ロシア人のスレンダー美人は何と医薬品の開発をする研究者だった。体を動かすのがストレス解消になるから始めたらしい。
二人ともしっかりした本業を持ち、余暇でエクササイズやストレス解消の手段としてポールダンスを楽しんでいる。
エクササイズと言いつつ、二人ともかなり上手だった。ショーをしているわけではないけれど、レッスンの段階でかなり高度なことをしていたので、音楽に乗せて踊ったらかなり見栄えすると思う。

それで、あなたは日本では何をしているの?と聞かれたので、プロのポールダンサーとして毎日ショーをしているよ。と答えたら、え、それで生きていけるの?他に仕事はしていないの?とかなり驚かれた。
日本では、踊る場所がたくさんあるし、いろんなパーティに出演してポールダンサーとして生活していけるんだよ、と説明したらかなり不思議そうにしていた。
なんでもスペイン国内では、ショーの仕事は夏のお祭りが多い時期にあることはあるが、シーズンを外れたらほぼ無いに等しいとのことだった。
スペインの夏、それはフィエスタの季節。
クラブでも、バルでも、個人のお家でも、たくさんの人が集まり飲んで踊る。
からっとした青空が広がり、あまり雨も降らないので人々は喜んで外へ出て行き楽しい時間を過ごすのだろう。
そういう気持ちのいい時期には、多少ポールダンスショーの需要があるのだそうだ。
また、私たちがレッスンを受けたスタジオのインストラクター達も、夏の間のショーや教える仕事だけでは食べていけないので、他のパートタイムの仕事を入れたりしているとのことだった。
彼・彼女らは国際大会に出場し3位以内に入賞するほどの実力の持ち主達なので、実力不足で稼げていないわけではない。
単純に仕事としてポールダンサーの需要が少ないのだ。
ポールダンサーとしてそれだけで食べていきたかったら、インストラクターとして教える、もしくはスタジオを経営するなど教える側に回らなければいけない。
パフォーマーとしてだけで食っていくのは夢のまた夢。
もちろん、スペイン国内の経済状況なども考慮しなければいけない話だとは思うけれど、最初は信じられなかった。

スペイン国内だけの話でいうと、踊りを見るよりも踊りを踊る方が文化として根付いているからパフォーマンスの仕事が少ないのかな?と考えている。
さらには、ヨーロッパではセクシーなポールダンスよりも、アクロバットなエクササイズとしての「ポールスポーツ」の方が人気があるらしい。
なおさらパフォーマーとして食っていくことが難しそうに思える。
もし私がスペインでポールダンサーとして食べていこうと思ったら、ビザの問題を横に置いたとして、いかにも日本っぽい着物風のコスチュームでアジアンな雰囲気を全面に押し出したら多少なりともウケるかもしれない。
この辺は日本でも同じだけれど、「キャラ」があることが何よりも大切だと思う。
これは書くか迷ったけど、正直な話、私は取り立ててポールダンスがめちゃめちゃ上手いわけではない。
この「ポールダンスがめちゃめちゃ上手い」は、ポールダンスの難しい技がたくさんできる、とかそういう意味です。
そういう点だけで見たらむしろ私は凡庸だし、何年もやっててその程度?とか思われても仕方ないと思っている。
もちろん基本的なことはこなせるし、ステージ慣れしていて技を失敗したりしないし、確実に盛り上げられますと言い切れる気概は持っている。
それとポールダンスがめちゃめちゃ上手いことはまた別の問題なのだ。
私には私のポールダンサーとしてのキャラがあり、研究し尽くした「これがウケる」と確信している技術がある。
それはすごくシンプルに言えば「愛嬌がある」とか「踊っている時と普段のギャップ」とか、ダンサーや人前に立つ表現者であれば誰もが持ち得るものの応用にすぎない。
見た目が可愛いとかおっぱいが大きいとかはあくまで興味を持ってもらう一つのきっかけにすぎず、その後自分自身でどう行動していくかこそが鍵。
ショーの仕事を長く続けるにはポールダンスのテクニックよりも、そういった現場で求められるものを察する能力や、自分がどういうキャラか把握した上で営業をかけていく、といった地道な行動が大切だと思っている。

カラダ一つで飯が食える

ポールダンスを続けていて、自分の肉体一つで飯を食っていける、というのがすごくカッコいいことだと思うようになった。
私が19年間、ろくに運動もせず蔑ろにし続けていた自分自身の肉体も、日々練習していたわって研究し尽くしたら、飯の種になる。
そして私のショーを見て、喜んでくれる人がいる。一時のことでも、じっと見つめて感じてくれる。
時には死ぬほど辛いし、もう踊りたくないとか自己嫌悪することもまだある。
それでも、打ちのめされれば打ちのめされるほど、ああ、私はポールダンスが好きだな、と実感する。
大好きだからずっと踊っていたいし、いつかはやめなきゃいけないなとも思う。
それは加齢だったり体力だったり、何かのタイミングで自分でもうやめようかなと思う時が来るのかもしれない。
でも先のことはわからないし、今こんなに愛してるんだから別れることなんて考えられない。そんな感じ。
時には手と手を取り合って、時には突き飛ばされ、絶妙な距離感を保ちながら私は私自身と踊ってきた。
踊ることは苦しい、楽しい、つらい、気持ちいい、いろんな感情を全部一気にダウンロードしているような気持ちになる。
もっとできる、もうできない、まだしたい、もっと見たい、もっと見て欲しい。
狭いステージでも、お客さんがたとえ1人しかいなくても、そこに誰かがいるから私たちは踊ることができる。
ポールダンスは、1人ではできない。
踊っている時は1人のようで、本当は1人じゃない。
本当は見ている人と私の共同作業なのだ。

どれだけ身体を鍛えても、柔軟性を身につけても、本当の意味で宙に浮くことはできない。
ポールなしでは高いところにいけない。 お客さんがいなければ踊れない。
そういう不自由さがたぶんたまらなく好きで、もどかしくて、ずっと離れられないのだろうな。
身体を捨てて生きることはできない私たちの宿命としてあり続ける快楽と苦痛、みたいなことを考えながら、私は今日も踊っている。