趣味、ポールダンス。

ついにその日が来た。今日は初めてのポールダンスレッスンの日。
必要なものは、ショートパンツ、Tシャツ、タオルに水。しっかりとカバンに詰めてスタジオへ向かった。
雑居ビルの一室のドアを開けると、そこは鏡張りの部屋になっていて、ポールが何本も立ち並んでいた。自分より先に来ていた他の生徒が早速ストレッチを始めていた。こんな風にわざわざどこかへ行って、お金を払ってまで運動するなんて。私の人生にそんなことがまさか、起こるなんて思わなかった。ものすごくドキドキした。

レッスンの最初はゆったりとした曲が流れる中でストレッチをじっくりと行う。ポールダンスに欠かせない上半身、肩周りや首を念入りにほぐしていく。何種類ものバリエーションを組み合わせ、可動域を少しずつ広げて体を温める。
開脚前屈をしていると、後ろから先生が押してくれる。が、体が硬すぎて全然前にいかない。開脚の角度も90度くらいで止まってしまう。背後から先生が少し呆れている気配がする。それでも、思い切り息を吸って、吐く息に合わせて先生が押すと少し前屈が深まった。

鏡に映る自分と目が合う。こんな風に真面目にストレッチしている姿を、高校の時の体育教師に見せてあげたい。授業をサボりまくっていた私にも、親身になって指導してくれるとても良い先生だった。留年しないためには学校の周りを36周走らなきゃいけないんだよ、大変だと思うけど、俺も付き合うから一緒に走ろう、と言ってくれた先生。彼が今の私をみたら驚くに違いない。
片膝をつき、片膝を立てた状態で鼠蹊部を伸ばす。普段、こんなところを伸ばしたり意識することがないため、すごく痛い。股関節から音がしそうなくらい、しっかりと自重でテンションをかけていく。
たった15分ほどのストレッチですでに筋肉痛の足音が聞こえた気がした。首や背中が、うっすらと汗ばんでいた。ここからが本番なのに。

いよいよポールに触っていく。ストレッチ用のゆったりした曲とは違った音楽に切り替わる。リズムの取りやすいR&B調の曲に合わせて、まずはポールをつかんで歩く練習をする。
背筋を伸ばし、あごを引いて、下腹に力を入れる。爪先は美しく伸ばし、腿の内側をすり合わせるようにクロスさせながら足を運ぶ。顔は常に鏡の方へ向ける。自分がいる場所をステージ、鏡側を客席だと思って、笑顔でステップを続ける。
たったこれだけのことなのに、背筋を伸ばして歩くだけでもかなり疲れる。普段いかに姿勢が悪いかを思い知らされた。

その次はポールを使ってのターン。足さばき一つとってもモタついてしまい、華麗にターンすることは見た目以上に難しい。
そして、スピン。ポールを掴み、ステップで助走をつけながら、回転する。片足をポールにかけ、もう片足は膝裏をしっかりと伸ばす。遠心力をかけると、ポールを中心にしてくるくると回転できる。
そして、クライム。ポールに登っていくのだけれど、これが、すごく痛い。すねを押し付けて、両手でポールをつかんで腹筋を使って体を持ち上げる。地面から完全に離れ、両足でポールを挟むような格好になる。この時、挟んでいる足はポールに摩擦されてめちゃめちゃ痛い。じっとその場で静止するだけでも痛いし、内転筋も不足しているので、とてもキツい。ずっとこうしていなきゃいけない拷問が地獄にあってもいいかもしれない、と思うくらい、変な汗をかいた。

痛みや不慣れな動きの連続で、私は終始「めっちゃ痛いっす!」とか「これヤバい」などと、緊張を和らげるために声を出し続けた。先生が笑ってくれたので良かった。

クールダウンをして、レッスンは終わった。
体全体がだるく、おそらく明日は熱を出すだろうというのが感覚でわかった。ポールを挟んだ両足の間には小宇宙のようなカラフルな痣ができていた。
体はボロボロだったけれど、それ以上に、ものすごく楽しくて仕方なかった。
楽しかった。
自分にはこんなことできっこない、と思っていたのに、やってみたら意外と体を動かせた。スピンやターンだけでなく、ポールに登ることが今日できるようになるなんて思いもしなかった。もちろんそれは先生のサポートあってのことなんだけれど、たった一つでも何かを達成することがこんなにも気持ちいいなんて、知らなかった。
鏡の中の自分は、間違いなく踊っていた。それはぎこちなかったけれど、確かに踊りだった。

次の週の同じ時間にレッスンを予約して、私はスタジオを出た。ものすごく疲れていたので足取りは重かったが、心は新しいことを知った喜びでいっぱいだった。
目に映る何もかもが、レッスン前とは違って見えた。改札にPASMOをかざすことさえ、何か特別な儀式のように思えた。

何もない自分からの転換期

ポールダンスを始めたことで、私の意識は確実に変化していった。
まず、所作を改めようと思った。日常生活から、美しいと思える立ち居振る舞いをしようと考え始めた。
自分の見た目なんてどうでもいいと思っていたために、ものすごい猫背だったのを、ポールを始めて数ヶ月間で必死に矯正した。
具体的にはとにかく背筋を伸ばすこと。そして、背筋を伸ばしている自分を鏡で観察した。まっすぐ立っている自分を目に焼き付けて、その時の肉体的な感覚を覚えようとした。鏡のないところで、自分がまっすぐ立っていることをイメージしながら背筋を伸ばす練習をした。下腹に力を入れて、肩の力は抜き、すっと一本芯が通っているような感覚で、立つ。
ただ立つだけでも、腹筋と背筋がないとしんどい。意識しないと肩が前に入り、首が落ち込んでしまう。家の中でも外出したときでも、鏡のある場所を通ったら姿勢良くすることを習慣付けていった。

また、体幹トレーニングの一環で、待ち時間は片足立ちをするようにした。右で十秒、左で十秒、とお腹に力を入れて立つ。
暇な時の「~しながらトレーニング」を生活に取り入れていった。

自分の性格からして、毎日決まった時間に同じことをやるのは性に合わない。いつでもどこでも、暇があればできるようなトレーニングであれば、自分で好きなように組み合わせられる。筋トレでもストレッチでも、バリエーションがないと面白く感じられない。スポーツ指南やヨガの本などを読み漁り、使えそうなトレーニング方法をピックアップしてはその日の気分で試していった。
食事も気をつけるようになった。トレーニング後にはタンパク質を取り入れた献立にしたり、プロテインドリンクを飲む。旬の野菜を多めに摂り、健康に良さそうなものがあったらとりあえず試した。
今までの、しょっぱいおかずに白飯があればいいや、というの意識からの脱却。
そこには、ポールダンスをがんばりたいという気持ちと、健康的な肉体を手に入れたいという切なる思いがあった。

ポールを始めたことで何かのスイッチが入った私は、無敵だった。
やりたいことに次々と手をつけ始めた。
時給の安いガールズバーを辞め、銀座のラウンジでバニーガールになった。
姿勢が良くないと務まらない仕事である。
もちろん、スタイルも良くなければならないし、愛嬌だって必要だ。
趣味と実益を兼ねることができる仕事だと感じた。
そして、これも仕事の一環だ、と思うと、筋トレや体作りへの意欲も不思議と高まっていった。
そういう意味では、水商売におけるプロ意識が、芽生え始めていたのかもしれない。
この頃は、まるで春の始まりのように、私の中で様々な可能性の芽が萌え出る時期だった。

週に一度ポールのレッスンを受け痣だらけになり、夜はバニーガールとしてクラッカーにクリームチーズを塗る生活。
徐々に筋肉がついていき、半年ほど経った頃には姿勢も随分改善していた。うさぎ姿も板につき始めた。
まだまだ趣味の域は出ないけれど、とにかくポールを触るのが楽しくて仕方なかった。痛いし、辛いし、できないことだらけなのに、毎週レッスンが待ち遠しかった。
行けば必ず何か一つできるようになる。
何かしらの達成感を得られる。
先生の教え方が良かったことも、ポールを続けられた要因だった。とても丁寧だし、痛みで私がぐずついても、根気よくレクチャーしてくれた。同じクラスに通う友達もできた。

充実した日々を送りながらも、私は胸の内にくすぶる「書きたい」という気持ちを忘れることができなかった。
ポールは楽しいし、バニーガールである事も面白くなってきた。
けれど、生活が充実すればするほど、書かなければという思いが強くなった。

私は何を書きたいんだろうか?
書きたいこと、が沈んでいる暗い海の淵にやっと立つことができたように思えた。覗き込んでも、それは覗き返してはくれなかった。自分で、その海の中へ泳ぎだしていって掴んでくるしかないようだった。
そしてそれは、本当に恐ろしいことだった。
何も見えない、何がいるかさえわからない水の中へ丸裸で入っていくことを躊躇しない人なんているだろうか?正気の沙汰ではない。
そこには波ひとつ立っていなかった。
泡さえ浮いていなかった。
ただただ静かな、底の見えない海のように感じた。

この時私は浮かれていたんだと、今となっては思う。
バニーの仕事を終え、電車に乗って帰ろうと駅を歩いている時に、
「編集・ライター養成講座」
のポスターを見つけてしまったのだ。
暗い海を渡る術を見つけた気がして、身震いした。
早速、講座のサイトをチェックし、半年バニーをして貯めたなけなしの貯金を振り込んだ。
趣味、ポールダンス。仕事、バニーガール。やりたいこと、文章を書く。
何もかもがとっちらかった状態ながら、私はライター養成講座に通い始めた。

「編集・ライター養成講座」

自分の書きたいことはなんなのか。
そしてそもそもライターとはどのような仕事なのか。
出版業界とはどんなところなのか。
そんな疑問を払拭するために毎週講座に通った。

この講座では、半年間で編集・ライターに必要な要素を一通り学ぶことができる。意欲と書き続ける習慣さえあれば、修了する頃にはライターとして活動することも不可能ではないように感じた。
とはいえ、参加者の半分以上がすでに編集者、もしくはライターとして仕事をしている人達だった。おかげで隣に座った人に話を聞くことさえ、良い勉強になった。

講座に通ったことで、自分が何に興味があり、また何に興味を持てないかを選り分ける作業がどれだけ重要か痛感できた。これは何よりも良い出来事だったと思っている。
どれだけ頑張ってもファッション誌のライターになりたいとは思えなかったし、編集にも興味が湧かないことが分かった。
私が書きたいのは自分の経験を元にしたことなのだ。それは多分、エッセイでもいいし、そこから膨らませたフィクションの小説でも良い。天才を抜きにすれば、経験したことや興味の有る事、知識のあること以外は書けないと思った。そして想像力を豊かにすることは、知識と経験の裏付けが必要だと感じた。

半年間はあっという間に過ぎていき、最後に卒業制作を書くことになった。インタビューを含んだ記事で取り扱う内容は自由。修了式の日に、優秀賞と最優秀賞が発表されるとのことだった。
何を書こうか。何が書きたいかな。プレッシャーよりも、ワクワクの方が大きかった。

その当時読んでいた大好きなブロガーさんにアポを取り、インタビューをさせてもらえることになった。TwitterやFacebookが社会現象になりつつある時期だった。SNSが人々のコミュニケーションをスムーズにさせ、孤独を防ぐ。一つの可能性としての、ウェブの使い方。誰しもが受信する側ではなく、発信する側になる世界が始まる。ネット社会で重要なのは、メディア力である。そんなようなことを、インタビューを交えた記事にした。

修了式の日、私は少し遅れて会場へ到着した。
後ろの席で、先生方のスピーチを聞いていた。
スピーチが終わると、賞の発表だ。
最優秀賞は無理だろう、でも優秀賞くらいだったら……と淡い期待をしていた。
何人かの名前が読み上げられた。私は、呼ばれなかった。
賞状と、金の鉛筆が受賞者に渡される。
あ、これ中島らもが書いてたやつだ!とふと気づいた。
小説家・音楽家でもあり舞台の脚本なども手がけていた彼は、コピーライティングのほうの講座に通っていたそうだ。
アウトローな気質を持ち合わせながら、酒や薬で身を潰してしまうほどの繊細さが伺える彼の文章が大好きだった。お気に入りの本は何度も読み返したし、彼の人生に憧れてさえいた。
エッセイで、彼は講座中に素晴らしいコピーを作り何度も金の鉛筆をもらったと書いてあった。

いよいよ最優秀賞の発表。
なんと、隣に座っていた友人が最優秀賞をもらった。
彼女は自分でレイアウトもし、週刊誌の紙面風に仕上げるなど素晴らしい記事を作っていた。

そうだよな、優秀賞だって無理か。
金の鉛筆、もらってみたかったな。憧れの人と同じ道を、通ってみたかった。
でも、私は私の書きたいことを書いた。これからもそうしていこう。
この講座は決して無駄なんかじゃなかった。
何が書きたいか、その一端を知ることができたのだから。
沸き起こる悔しさを、こんな風に心の中で言い聞かせていた時、講評を担当した先生が口を開いた。

「今年は審査員特別賞があります」と。

とても斬新な視点と、新しい物事を取り上げるフレッシュな感性で書き上げられた素晴らしい記事でした。通常であれば、優秀賞と最優秀賞のみではあるのですが、今期に限って、私からこの審査員特別賞を著者に差し上げたいと思います。

そうして、先生は私の名前を呼んだ。
時が止まるのを感じた。

こういう時は本当に頭が真っ白になるものなんだなーと他人事のように思いながら、呼ばれるがまま前へ歩いていった。
先生は、私に金の鉛筆を手渡してくれた。
中島らもがもらったのと同じ金の鉛筆を。
それは、大好きな作家と、同じ場所に立てたんだという確かな証拠だった。
形のあるスタートラインだった。

自分の書いたものが、誰かに認められることの喜びは、何物にも代え難い。
それは自分の外見や仕事ぶりを褒められるよりも、重みのあることだった。
例えるなら、吐瀉物や胃の内壁を褒められる感覚に似ていた。
つまりそんなことは、普通ならありえない。ゲロや内臓を褒められることなど、人生には早々ない。
私にとって、私の書いたものはゲロや内臓であり、それは自分ではとても大事なものだけど、他人には理解されないものだと思っていた。

この日を境に、私はもっと自分のゲロ・内臓を外に打ち出してもいいのかもしれないと思うようになった。

第4話につづく)