2015年7月、メキシコシティ郊外の刑務所において、麻薬密売組織のボスが刑務所から脱獄に成功したというニュースは、日本でも取り上げられたのは記憶に新しい。麻薬組織「シナロア・カルテル」の最高幹部、ホアキン・グスマンは、監視カメラの死角を突き、脱獄に成功したのだ。

 独房のシャワースペースから刑務所の外まで、実に1.5キロもの長さのトンネルが掘られていたという。トンネル内は電灯や換気装置が設置されており、更には逃走用のバイクまで準備されていた。計画的な犯行だったという事は明らかである。

「大脱走」、「プリズン・ブレイク」といった、脱獄を題材にしたドラマや映画は多いが、実際に現実の世界でも、これまでに数多くの脱獄事件が起きている。今回は世界で起こった脱獄について5つ、ご紹介する。

1. 双子の弟を利用し堂々と脱獄【イギリス】

 2005年11月、暴行罪による実刑判決でスコットランド南西部の青年犯罪施設に服役中だったギャリー・オドネルが脱獄に成功。その施設には、ギャリーの双子の弟である、ジョン・オドネルが交通法違反により60日の実刑判決を受け、同じ監房棟で服役中だった。

 兄ギャリーは、弟ジョンの刑期が終了するタイミングを狙っていた。刑期満了当日の点呼の際、弟を装って、逃走を企てる。刑務官もジョンに成り済ましたギャリーと気付くことなく釈放してしまったという。その後、この成り済ましはすぐにバレたが、時すでに遅し。ジョン自身はすでに刑期を終えているため、兄弟揃っての自由の身となった。

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2. 迷宮入りの大脱走 アルカトラズからの脱出【アメリカ】

 伝説の刑務所として名を馳せるアルカトラズ刑務所でも、脱獄事件は起きている。1962年6月、フランク・モリスジョン・エングリンクラレンス・エングリン兄弟の3人がいかだでの脱出に成功する。

アルカトラズ刑務所とは

 サンフランシスコから2.4km沖合に浮かぶ、アルカトラズ島。1963年に廃止されるまで、連邦刑務所として使用されていた。収監された有名な囚人はアル・カポネなど。

アルカトラズ
面積0.076km²ほどの小島。アルカトラズ島は今も刑務所の面影を残す

 1960年1月にモリスがアルカトラズ刑務所に着いてから間もなく脱獄を計画していたとされる。2年以上かけて独房の裏手へと続く穴を交代で掘り続け、その間に浮き袋とシートを組み合わせたいかだや、紙くずと粘土や穴の削りくずを合わせた自分たちの人形も作っていた。

 FBIは大勢の人数を割いて捜査するものの、3人の消息は掴めず、遺体が発見されることもなく、サンフランシスコ湾で溺死として捜査を終了する。その翌年の1963年にアルカトラズ刑務所も閉鎖となった。

 近年、アメリカのテレビ番組での企画や、オランダの学者によるシミュレーションにより、いかだがアルカトラズから横断可能であること、3人の脱獄犯は生存している可能性があるとの研究結果が出されている。また、この事件は、映画「アルカトラズからの脱出」のモデルにもなっている。

アルカトラズ刑務所
アルカトラズ刑務所の内部。階層構造になっている

3. 自らを宅配便に。段ボールによる脱獄【ドイツ】

 2008年11月、当時42歳のトルコ系の男性が脱走に成功。自身の置かれていた環境を上手く利用してのものだった。

 彼が刑務所で行っていた仕事は、ショップ等で売られる文房具の制作。当番の際、身体を段ボールに隠し刑務所から発送される宅配便のトラックに積まれ、刑務所のゲートを通り越えることに成功した。

 男性は移動中のトラックの荷台から、トラックシートに大きな穴を開け飛び降り脱走。男性は身長が高く、肩幅もあった。そのため150cm x 120cmのダンボールに隠れていたという。まさに大がかりな脱走劇だった。

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4. 15キロ減で鉄格子を擦り抜け脱獄【オーストラリア】

 2006年1月、ロングベイ刑務所病院で精神障害による治療を受けていたロバート・コール(当時37)が逃走。その方法は想像しがたいものであった。

 窃盗罪により服役中だったコール。精神障害により無罪判決が出る。

 刑期不特定で刑務所の精神病院への入院を宣告されたが、出所時期や治療方法に不安を覚えたコールは脱獄を決意。断食に加え、下剤も服用したダイエットで体重を14キロも落とし、56キロまで痩せることに成功する。

 スリムとなった身体で、監房の鉄格子とレンガの間を通り抜け、刑務所の壁窓に15センチ大の穴をバターナイフで掘り、くぐり抜けて脱獄。
まさに身体を張った脱獄だったが、数日後、ショッピングセンターでウインドウショッピング中の所を発見され、逮捕。同年10月に有罪判決が出され、結局26か月の服役と精神障害の治療が言い渡された。

5. 脱獄のカギは味噌汁。昭和の脱獄王・白鳥由栄【日本】

 日本にも脱獄に関する話は多くあり、その中でよく知られている存在が「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄である。彼は26年間の服役中に4回の脱獄に決行し、累計で約3年もの逃亡生活を送っている。

白鳥由栄 Siratori yosie
白鳥由栄

 中でも、1944年に網走刑務所にて決行した3度目の脱獄は、驚くべき方法で脱獄に成功している。頑丈な独房に入れられた白鳥は、手錠と房の扉に付いた視察口に味噌汁を何十日も渡って吹きかけ、塩分によって生じた錆によって、鉄枠を外せる状態にまでした。準備が整った白鳥はその後、手錠と足錠を外し、肩の関節を脱臼させて、ふんどし一枚で監視口をくぐり抜けたのである。
 超人的な体力、腕力を持っていたとされ、看守への暴行や、人質などの強行突破は一度も無く、看守からも「脱獄は自分が当直以外のときであって欲しい」と言われたほどである。

まとめ

 そもそも犯罪を犯さなければ脱獄する必要もないのだ。今回は5つの例をご紹介したが、脱獄は気の遠くなる作業を続けたものが多いとわかった。それにしても世の中にはすごい脱獄がたくさんあるなあ。

すごい脱獄

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