閲覧注意

この記事は火葬場で遺体が燃やされている写真など、衝撃的な写真を含みます。閲覧には十分ご注意ください

 インドは不思議な国である。イスラムでも西洋でもない。いまや中国よりも成長率が著しい国。インド人は独特の「ヒングリッシュ」というインド訛りの英語を話し、首をかしげて紙たばこを噛む。

 ニホンジンドットコムでは、インドを長期取材して見えてきた不思議な世界をフカボリしてお伝えしていきたい。連載初回は「死」について。

マニカルニカーガートの火葬場で遺体を焼く

 インドのウッタル・プラデーシュ州、バラナシ(ベナレス、ヴァーラーナシーとも)。バラナシはヒンドゥー教の聖地なので、たくさんの巡礼者で溢れている。

 インドはという感覚が常に隣り合わせにある国である。道ばたに死体が転がっていることも珍しくはない。

ヴァラナシの火葬場 マニカルニカーガート  6  8
ヴァラナシ最大の火葬場、マニカルニカーガート。沖合をいくボートから写真を撮っても、ハッキリわかるほど煙が一日中あがっている

 ガンガー沿いを歩いていると、

「ジャパニ?カソーバ見る?」

と声をかけてくる男がいた。ぼくは迷わずついていくことに。そこにバラナシ最大の火葬場、マニカルニカーガートがあった。

ヴァラナシの火葬場 マニカルニカーガート  1  8
遺族は250ルピー(500円)の薪を、3〜5束ほどを買って遺体を焼いてもらう。インドの平均給与(バラナシで聞いたところによると月給6,000円ほど)からすると、決して安くない額だ

 ヒンドゥー教の聖地、バラナシにあるこの火葬場では、24時間休むことなく遺体を燃やし続けている。燃やした遺体は灰となり、聖なる河ガンガーに流され永遠のいのちを得るとかそういう設定になっているらしい。

 日本人や外国の観光客は遠巻きに眺めているだけだが、思い切って近づいてみることにした。たくさんの遺体が焼かれていた。

ヴァラナシの火葬場 マニカルニカーガートで焼かれる遺体  2  8
荼毘に付される遺体。2時間半で灰になった

 ずっとその様子を見ていた。はじめて人が焼けるのを見た。

 自分もいつかこういうふうになって自分が自分じゃなくなってしまうのだ。人間が人間の形ではなくなってしまうのだ。日本のように蓋が一切されていない火葬。インドで見た野ざらしの火葬がショックだった。

生焼けの足

 インドでは死んだあとも金がものを言う。金持ちは白檀の良い薪で大きな火柱を上げ、何人もの人間がオイオイ泣く中で灰になるが、貧乏人はそうもいかない。

 身寄りがなく、死ぬ前に金を残していない人間は、250ルピー(500円)の薪すら満足に買えず、火力が全体的に足りないのだ。ほんの数本の木で荼毘に付されたほそい体は、ジュウジュウ音を立てつつ足が焼け残っていった。

 顔にタオルを巻いた火事場の番人は次から次へと死体が運ばれてくる中、ヤケクソになりながら生焼けの足をガンガーに放っていた。まだ灰になっていないのに、慣れた手つきでガンガーに放る様子は狂気だ。

 人間死んだら平等、とは言うけれど国が貧しいとそうもいかない。

火葬場の下流にいる謎の素潜り男の正体

 火葬場の下流、灰を流している場所のすぐ川の中ではしきりに素潜りする人の姿がある。

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 カメラを向けると怪訝そうな顔でこちらをにらんでくる。

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 よく見ていると死者のつけていた指輪や貴金属をネコババしていた。現金に換金するのかな。

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 インドでは金持ちが荼毘に付されるときには貴金属や宝飾類を身につけたままのケースが多い。ここは日本と同じである。
 しかしガンガーに流された直後、数メートル下流では貴金属ネコババおじさんが毎日素潜りを繰り返す。なんなんだこのカオスは。

 ここは間違いなくヒンドゥーの聖地。だけれどこれでは神聖もクソもあったもんじゃあない。でもこれが本当のインドなのだ。

川を流れていく子供の遺体

 ボート漕ぎを雇った。
 火葬場に近づいていくと、波間にプカプカ浮き沈みするカタマリがあった。キヤノンの望遠レンズでのぞいてみると、どうやらそれは遺体のようだった。

 聞けば子供や病気で死んだひと、人生を全うできなかった人はもう一度生まれ変わってくることができるよう遺体を燃やさずガンガーに流すそうだ。白い布を巻き付けられた遺体は、どこまで流れて行くのだろうか。

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ガートで死を待つ老婆

 火葬場は河の上からも見学することができる。火葬場のすぐ横にあるガート(寺院)のような建物に入った。

 ここは死期を悟った人々が、死に場所を求めて寝泊まりするスペースだという。いまにも死にそうになりながら呼吸を繰り返すひとやジッと息をひそめ火葬場のほうを見つめる老婆の姿に胸を打たれた。

マニカルニカーガートで死を待つ人々  3  5
この女性は末期ガンにおかされているらしい。寺院の隅でしずかに死を待っていた。死ぬと数十メートル離れた火葬場で燃やされるらしい。

 重い空気を堪えきれず、ベランダから外に出ると既に日が暮れ始めていた。

 風向きが変わったようだ。ぼくは死者の燃えた煙を肺いっぱいに吸い込んでしまった。とても不謹慎なことだけど、焼肉のにおいがした。

 人は死んだら肉のかたまりになる。当たり前のことだけど当時22歳だったぼくには衝撃的だった。人生に悩んで訪れたインドで、まさかこんな光景を見るとは思わなかった。自分が思い悩む世界以外にもっといろいろな世界があるし、その中で生きているひとがいるんだ。そんなことを考えながらぼくはまた煙を吸い込んだ。

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バラナシで日本人が死んだ日

 バラナシでの滞在中、一人の日本人男性が死んだ。吹き抜けのあるホテルに長期滞在していた。

 彼は日本を出て1年近く。屋上でワインやビール、ウイスキーを飲み泥酔した夜だったらしい。ホテルの中の吹き抜けを4階から飛び降りた。病院に運ばれたが、ほぼ即死だった。

 かなしいことに彼は両親にも知られず、日本のニュースにもならず、ひとりでしずかに死んでいった。

 バラナシに長期滞在しているたいていの日本人は特にやることもなく暇なので、このゴシップ話でもちきりだったし、ヒンドゥーの新聞でも数日間記事が載っていたが、数日するとバラナシは何事もなかったかのようにゆるやかなインド的日常生活へと戻っていった。

インド警察は自殺とか他殺とかどうでもいい

 問題なのは、どうして死んでしまったか、ということである。インドの警察(あまりあてにならない)が部屋に入り調査をした時には、部屋の鍵が開いており、財布と部屋鍵がなかったという。

 現地では自殺ということで最終的には処理されていたが、他殺というセンはなかったのだろうか。警察はちゃんと捜査をしたのだろうか。

 彼が誰と飲んでいたか、とかそういうことがまったく分からないまま捜査は終了になった。理由は分からない。これはぼくの推測なのだけれども、火葬の日取りが決まったからではないか。

 燃やされればガンガーに流されて永遠の命を得るからね。

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バラナシの夜。ぼんやり考えつつガンガーを歩いていたら人が集まってきてプージャー(礼拝)が始まった。ジャーイ!ジャーイ!(ばんざい、ばんざい)というスピーカーの声、銅鑼、鐘、タイコやホラ貝の音がシッチャカメッチャカふうに鳴り響く

 両親に知られずに彼が死んでいったのには理由があった。彼は親と訣別状態にあったからだ。連絡がつかなかったため、日本から急遽、彼の友人がインドにやってきた。

 彼の遺体はインド人と同じくマニカルニカーガートで焼かれた。

 遺灰はガンガーに流さず友人の手により日本に持ち帰られたらしい。インド人はそれを見て不可解に思ったことだろう。なぜガンガーに流さないのか、と。

死を思い悩むことすらインド人にとってはナンセンス

 他殺だろうと、自殺だろうと、インド人にとってはあんまり関係ないことなのかもしれない。

 実際、ガンガーのすぐそばでは大麻を吸い過ぎて倒れている人をたまに見かける。バラナシでは人が殺されても事件にはならない。ガンガーに流せば他殺か病死か分からないから──そんなこわい噂も聞いていた。

 バラナシに在って、死を思い悩むことすらインド人にとってはナンセンスなのかもしれない。ガンガーがすべてを受け止めてくれる。ガンガーはすべてを受け入れてくれる。新しく生まれ変われるのだ。

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ロウソクの炎がゆらゆらと波間に消える向こう岸にはちょっと緑みが強すぎるような夜が広がっていた

 ひとり旅は自由だ。どこに行くのも何を食べるのも自由だし、どこで寝るのも自由。それでも自由には常に責任がつきまとう。

インドを素手でかきわけて

 インドを旅していると苦しいことばかりだ。「価値観の違い」と一言で片付けられてしまうことなのかもしれないが、当時からぼくは偏屈な人間だったので、なかなか価値観の違いを受け入れられなかった。それに何よりも、自分が見てきた火葬場で焼かれることは受け入れられなかった。インドで死ぬのはこわいし、とてもさびしい。

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バラナシのスラムに住む少年と仲良くなった。これはサルマンという少年(当時11歳)に一眼レフを預けて撮ってもらった写真。生きてれば彼も20歳になるだろうか。

(つづく)

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