関西の有名私大出身の堀田(仮名)は、在学中に経験したボロ儲けアルバイトの成功体験を忘れる事が出来ず、その後はオレオレ詐欺に手を染め、今や立派な反社(=反社会)の人間に成り下がってしまった。そんな堀田は、年収4000万以上を稼いだ過去を持つ。
「オレオレ詐欺、実行者たちのその後」第2弾は、知る人ぞ知るネオヒルズ族の界隈にまつわるキナ臭いエピソードだ。
——午後19時、東京・六本木通り沿いの薄汚い雑居ビル4階の貸し会議室。
殺風景な部屋に並べられた長机に座るのは、金髪でヤンキー風の格好をした若者から、くたびれたサラリーマン、水商売風の女性に、数ヶ月後に大学を卒業予定というフレッシュマン、初老の男性まで、まさに老若男女である。それぞれノートパソコンやメモ帳、ペットボトル入りの飲み物をテーブル上にセットして“その時”を待っている。
予定時刻を5分程過ぎて颯爽と現れたのは、紺ストライプのスーツに、真っ赤なネクタイ、トム・フォードの伊達眼鏡にオールバックという出で立ちの堀田であった。
「はーい!みなさん、こんばんは!ようこそお越し下さいました!」
弾けんばかりの、だが一発で作り笑顔とわかる堀田は、会場のひとりひとりを見回すと、大きく深呼吸をした。全ての動作がオーバー気味で、まさに新興宗教のノリを彷彿とさせるテンション。教祖・堀田の一挙手一投足に、老若男女から熱っぽい視線が向けられる。
これだから情報弱者はチョロい。堀田は心のなかでほくそ笑んでいた。
情報弱者を食い尽くす生き方
——堀田は19歳、大学2年のときに、いわゆる出会い系サイトのサクラのアルバイトを始めた。彼が通う大学のキャンパスがあった滋賀県には、とにかく遊べる場所がなかった。遊びといえば合コンかゲームセンター、そして風俗くらい。そんな単調な日々に嫌気がさし、先輩の紹介で始めたのがサクラのバイトだった。
「ヤレそうなオンナのフリして、男を騙すんですよ。とにかく面白い仕事でした」
大学を卒業後、堀田は東京の大手通信会社でSEの仕事についたが、自慢でもあるタイピングの早さは、サクラのバイトで身に付いたものだという。
「最低でも5人、多い時は同時に20人くらいの相手をするんですよ。それぞれ“女のコ”の設定を書いたメモをパソコン周りに貼って、客の男たちへメッセージを送り続けます。だから、死ぬほど早くタイピングしないと間に合わない」
堀田はこのアルバイトを始めてから、月収が60万円を超える月もあったという。2LDKのマンションへ引っ越し、愛車のトヨタ・アリストを手に入れると、ほとんど学校へは行かず、バイトとナンパに明け暮れる日々が続いた。
しかし、そんな堀田が就職したのは堅い堅い大手通信会社の子会社。
「収入はバイト時代の3分の2。仕事はつまんねぇし、上司はムカつくし、1ヶ月でやめました」
2ヶ月ほど貯蓄を食いつぶす日々が続いた後、ネットで見つけた求人情報を元に、東京・池袋の事務所を訪ねた堀田。「高収入」「データ入力作業のお仕事」などと、一見ではサクラの仕事だとわからないような求人情報であったが、堀田の思った通り、それは出会い系サイトのサクラを募集する案内だった。
「業界経験どころか、バイトをまとめるチーフ的な事もやってましたから、その場で即採用。半月くらいヒラのサクラをやって、1ヶ月後には自分のチームが出来ました。3ヶ月目からはインセンティブが30万を超え、月収は50万近くに。やっぱこの仕事しかねぇなと、そう思っていました……」
職場に突然のガサ入れ
再びサクラの仕事を始めてから半年が経ったある日、いつものように事務所へ行くと、入り口の前にテレビ局や新聞記者が大勢いた。間もなくして警察車両が数台横付けされると、事務所の中から、パソコンや電話、大量の書類が運び出された。
サクラがバレて逮捕されると冷や汗をかいたが、その実は会社の代表が脱税で摘発されたというだけで、捜査が堀田に及ぶ事はなかった。
情報商材販売事業を開始
一瞬にして食い扶持を失った堀田が、サクラ仲間に勧められて始めたのが情報商材を販売するという事業である。出会い系サイト運営会社にストックしてあった、数百万単位の大量のリストを活用し、ありとあらゆる情報を“商材”としてメールで送りまくった。
「出会い系サイトに騙されるような連中ですから、モテる方法とかオンナを落とす方法、他にも投資情報やギャンブルで勝つ方法など、連中が欲しがりそうなネタを情報にして売るんです。値段も数千円レベルから十数万するものまでありましたが、これが結構売れました。中身? そんなの本を1冊か2冊買ってきて、適当に小見出しやキャプションを拾ってPDFにするだけです」
ネオヒルズ族の有料セミナーに参加
原価がほぼタダに近い「情報商材販売」事業。当然、参入する業者が増え出し、共倒れを予感し始めたとき、ネオヒルズ族を名乗る数人の男たちの存在を知った。堀田はすぐに彼らが開催する有料セミナーに参加し、彼らがやっている事がまさに「情報商材販売」と何ら変わりがない事に気が付いたのである。
「彼らの事業の中核はアフィリエイト広告です。自分のサイトにとにかく多くの人を呼び込み、広告をクリックしてもらう。とてもビジネスだといえるものではありませんが、可能性を感じました。自分自身を商品化して人を惹き付けてさえいれば、客が僕の噂をどんどん広めてくれる。僕に興味を持ちサイトに訪れる人がネズミ算式に増えて、広告収入も増える。これもほとんど元手がいらないんです」
SNSを利用した偽りの成功者
今回、堀田がネオヒルズ族ビジネスの内幕を披露する理由は後述するが「何人かの人生は確実に潰した」と呟くように、そのやり口は情報弱者に狙いを絞った悪質極まりないものだ。堀田にとって、情報商材ビジネスで培ったノウハウがそのまま活かせるネオヒルズ族になることは、そう難しいことでもなかった。
「金持ちになりたいか、モテたいか、有名になりたいか……誘い文句は何でもいいんです」
堀田がまず取り組んだのは外見作りだ。海外ブランドのデニムにYシャツ、ベルトや靴、そして欠かせない高級時計を準備し、ヘアサロン併設型のスタジオで宣伝用の写真を撮った。
国内外の高級車をレンタカー屋で借り、六本木や銀座、汐留のイタリア街で車の前にたたずむ自分の姿、シャンパンや高級ワインの瓶を使い回しての日々の食事の様子など、偽りの成功者の姿をブログやフェイスブックにアップしまくった。
有料セミナーにも数回通い、有名だとされるネオヒルズ族の先輩との写真を撮り貯めて仲間アピールをする。
そうこうしていくうちに、SNSにコメントが付くようになり、読者が100人、200人と増えていった。端から見ればネオヒルズ族の一員だったかもしれない。
手っ取り早く稼げる有料セミナー
「フェイスブックなどSNSへの1回の投稿に10コメント程度付くようになり、読者が1000人を超え出すと、ブログに来る読者がガツンと増えます。僕の場合、自分を偽ってブランディングするより、手っ取り早く有料セミナーで稼ぎたいと思いました」
とはいえ、参加料6000円の第1回セミナーには5人しか集まらなかった。
「この5人にメシを食わせ酒を飲ませ、とにかく可愛がった。この5人がセミナーの様子をSNSでアップすると、2回目は10数人に参加者が増えた。この間に、100万近く使ったと思いますが、コメントもブログ読者も一気に増え出しました」
堀田は、最初の5人が若くてやる気のある連中だったから成功した、と述懐するが、セミナー参加者は回を追う毎に増え、参加費用も2万円以上を要求するまでになる。
ここで堀田の脳裏をよぎったのは逃げ切りという言葉だ。「いつまでも出来る仕事じゃない」。そう悟った堀田は、最初の参加者の内の1人で、右腕として慕う内山のアイデアから、さらなる情報弱者探しを画策する。
「内山はオレオレ詐欺の経験があり、名簿屋とも仲が良かった。多重債務者や結婚相談所に登録している人物、お見合いパーティー参加者の名簿を流してもらい、ピンポイントで集客してみようという事になった。これが大当たりし、商材を出せば20本以上が売れ、セミナーには50名を超える人間が押し寄せた。貧乏人やモテない男、そんなんばっかだから、とにかくこっちの思うがままに事が進む。おいしすぎました」
当然だが、ごくごく稀なケースを除けば、こんなセミナーに参加したところで何のノウハウも得られない。人を騙し続けるという、ある意味での心臓の強さを持っていれば話は別だが……。
オレオレ詐欺の受け子の派遣会社を設立
堀田は、このような手法を用い1年で4000万近い現金を集めると、新たに別事業としてオレオレ詐欺の受け子(※)を派遣するための法人を立ち上げた。
受け子たちは、もちろん堀田や内田がセミナーなどでリクルートしてきた連中だ。現場への1回の派遣で5万から8万の報酬が出て、受け子に渡すのは1万から2万。割にあわない危険な業務だが、取っ払いで貰えるカネは多重債務者にとって喉から手が出るほど欲しいことを逆手に取ったものだ。
堀田が内山にさえ行き先を告げず、WebサイトやSNSを全て消し去り、海外に身を隠したのは法人の立ち上げから半年ほど経ったときだった。
東南アジアの片隅でむなしい日々
「どの仕事も、普通に考えれば“仕事”などと言えるもんじゃありません。かといって真っ当なサラリーマンになんか絶対になれません。日本で手っ取り早く稼いだカネの半分を投資に回し、4分の1を使って東南アジアに拠点を置くWeb企業を買収しました。もう日本に戻る予定はないです」
堀田が買収したWeb企業、それは日本国外から配信される日本向けアダルトサイトの動画を無断で転載して広告収入を得るという、これまた違法行為が主な業務。それでも堀田はいう。
「出会い系のサクラもオレオレ詐欺も、セミナーでも、もちろん人間との接触が必須でした。相手をだまくらかすことに多少の後ろめたさがあった。でも今は、人とまったく接さずに過ごせています。俺たちに騙された人の事もたまに思い出しますよ。彼らは俺みたいに日本に住めないワケでもないし、いくらでも普通の生活に戻る事が出来ますよね。そう考えると、俺の人生はサクラをやった事で全てが変わっちゃったんじゃないかなって。ぶっちゃけ、毎日がむなしい」
彼に同情する理由はこれっぽっちも無いが、筆者に吐露する堀田の後悔の言葉は、消え入りそうなほど小さく、悲し気に響いた。
(取材・文/北宮マサル)