バングラデシュに実在する闇のスラム〜タンガイルの売春地帯に生まれた女たちは運命を変えられるのか
入り口の側にはライフルを抱えた2人の警官が立っていた。どうやら見回りで足を運んだだけのようだ。それでもあまりの恐怖に足がすくむ。このまま歩を進めて良いのだろうか。いや、わざわざ日本から来ておきながら引き返しては元も子もない。どうしても自分の目にその光景を焼き付けておきたかった。
ダッカから数時間。マリファナ漂う、絵に描いたようなスラム
今にも崩れ落ちそうなバラックが立ち並ぶスラム街。まるで何世紀も時代から取り残されてしまったように荒れ果てている。ガラの悪い連中がチラチラとこちらの様子をうかがっており、時折ワケのわからない言葉を投げかけてくる。いまにも殴りかかってくるのではないか。私はビクビクしていた。彼らから微かにマリファナのような匂いも漂ってくる。
好奇心ゆえにここまで来たわけだが、思った以上にヤバいところまで足を踏み込んでしまったのかもしれない……。
タンガイルまで足を運んだ理由
私は首都・ダッカから北上すること約70キロ。タンガイルという村に来ていた。あたりには田んぼや畑しかない。こんな辺鄙なところに一体なにがあるというのか。ガイドブックにも載っておらず、観光で来る外国人などほとんどいるはずがない。そもそも、ほとんどの人がバングラデシュと聞いても、どんな国なのかサッパリわからないと思う。
『バングラデシュに行こう。観光客が来る前に』
これは冗談ではなく、政府観光局が打ち出したキャッチコピー。観光客が少ないことを逆手にとった自虐ネタだが、かなり的を得ている。実際に自分以外の外国人旅行者には誰1人として会わなかった。そんな国を訪れて私が見たかったものとはーー。
公娼制度でひらかれた政府公認の色街「フォスパダ」
バングラデシュはイスラム教国家。性に対してはタブーが多いことで知られている。にも関わらず、公娼制度がある珍しい国だ。ネットの掲示板では古くよりタンガイルに売春地帯があると囁かれていたが、真偽のほどは定かではなかった。イスラム教国の売春街とは、一体どんな場所なのか。かねてより興味を持たされていたのだ。詳しい情報はなく、行ってみるほか確かめるすべはなかったーー。
数百人の売春婦が「プキプキ」(ジキジキ, SEXしないか)と声をかけてくる
ーー地元では「フォスパダ」と呼ばれている当の売春スラム。まだ年端もいかない少女からとっくに閉経は過ぎているであろう熟女。狭い路地の両側に彼女たちは無表情で待ち構えている。なかには明らかに障害を抱えていたり、重大な病気を患っていそうな女性まで見受けられた。狭いエリアながら、そこには数百人の売春婦がひしめきあっていた。誰もが厚化粧で着飾り、淫猥な雌の香りを漂わせている。
「ヘーイ、プキプキ!」
彼女たちは私の存在に気付くと、誰もがそう叫びながら強引に腕を掴んでくる。プキプキとは、現地でSEXを指す隠語だ。アジアでは「ジキジキ」(女性器を意味する)という言葉がSEXの隠語として広く浸透しているが、ここ、バングラデシュでは「プキプキ」と言う。10人を超える女性から同時に迫られると、うれしいどころか人間は恐怖を感じるものだ。その勢いはTシャツが引きちぎられてしまうほどだった。このままでは奈落の底まで引きずり込まれてしまいそうだ。私はなんとか無数の手を振りほどきつつ、スラムの奥へと進んでいったのだった。
わずか500円で春を売る女性たち
彼女たちが提示してくる金額は500タカ。日本円でもわずか500円弱だ。私たちが普段ランチにつかっているワンコインで春を売っているというのか。現地の小さな食堂でカレーを食べると100タカ程度。そう考えても5食分程度の金額でしかない。
時代を超えて脈々と受け継がれる稼業
私は、すぐにフォスパダが単なる色街ではないことに気付いた。ここには彼女たちの生活そのものがあったのだ。中には小さな商店やチャイ(紅茶)屋まで営まれている。乳飲み子を抱えた母親と店番をする父親。チャイ屋で休憩しながら主人と話していると、ひっきりなしに女性が遊びにきた。ある女が来ると突然、主人がこう言った。
「ヘイ、ジャパニーズ。彼女はオレの妻なんだ。プキプキするか?」
彼女もまた、見るからに売春婦だった。一度落ち着いてから探索しようと、フォスパダの外に出る。横に流れるドブ川沿いを歩いていると、ひっきりなしに現地の男性が集まってきて声をかけられる。
「プキプキするか?」
「疲れているから遠慮するよ」
「そうか。ならいい。俺たちはみんなファミリーだ。こいつが弟、そっちにいるのが親戚。なあ、お前はカメラをもっているだろう。ファミリーの写真を撮ってくれないか?」
永遠に終わらない連鎖
そのとき、私は確信した。もちろん、様々な事情で新しく連れてこられる女性も多くいるだろう。だが、ここに住んでいる人たちにとって、売春とは脈々と受け継がれる家業のひとつなのだ。幼き頃からこうした環境で育てば、それ以外の生きかたなど検討もつかないはず。その連鎖は親から子、孫の代へと永遠に続いていく。
売春や付随する斡旋業から足を洗うということは、家族との絶縁に等しい。誰もが家族や友人と離ればなれにはなりたくない。それならば一生をここで終えるのも悪くない、そう考えてもおかしくないだろうと推測した。
貧しくても家族と友人のほうが大事
数日間フォスパダの近くで過ごし、顔なじみになった男性がいる。スラムの住人ではなく、英語が話せる学校教師だ。ある日、彼からこんな話を聞いた。
「詳しくは知らないが、NGOの職員から聞いた話。かつて客に身受けされて出ていった女も少なからずいるらしい。でもほとんどがしばらくするとみずからフォスパダに戻ってくるそうだ。なぜなら外の世界、一般社会に馴染めないから。ここで生きていれば、貧しくても家族や友人がいる。そのほうが幸せなのだろう」
人間は生まれながらにして平等ではない
私たち日本人は、だれでも1度や2度ぐらいは海外旅行をすることができる。世界の広さを知ることができる。職業を選択することもできる。生き方を大きく変えることも不可能ではない。一方で、バングラデシュの売春スラムで生を受けた場合、背負った宿命から決して逃れることはできない。
そう考えると、人は生まれながらにして平等であるとは言えないだろう。
いや、そもそも幸せの価値基準を私たちは間違えているのではないか。消費社会のなかで、自殺や過労死するほど働き続け、お金を稼いでいる人のほうが偉いとされる今の日本の風潮にはやや違和感をおぼえる。
輪廻天生。車輪がぐるぐると回転し続けるように人が何度も生死を繰り返すこと。バングラデシュの売春スラムに生まれた人たちは、果たして来世でも同じ人生を望むのだろうか。
※取材は2013年当時の状況を記したもの。2014年に閉鎖されたとのニュースも流れたが、すでに元通りになっているという噂もある。真偽のほどは定かではない。