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'); the_archive_description('', '
');20年間タイ・ヤワラーの連れ込み宿で執筆活動を続けていた伝説の性豪・岡本朋久。現在暮らす日本のゴミ屋敷で見た狂気の作品たち
私は「シックスサマナ」という電子書籍ベースの雑誌を発行している。
真似のできない人生を歩む、常人を越えた「超人」たちを探し、彼らの破天荒な生き方を受け入れつつ、読者の皆さんに「人生再インストール」を促すのが本誌の使命であり、永遠のテーマだ。
そんな私が半生をかけて追っている英雄のひとりが、今回紹介する岡本朋久。現在、54歳。取手のドストエフスキーこと、通称「岡本先生」である。
90年代タイ・ヤワラーで小説家を目指した男
現在は茨城県・取手でひとり暮らしをしている岡本先生。
——今から20数年前。バンコクの中華街ヤワラーにふらりと現れ、台北旅社という古ぼけた安宿に住み着いて以来、小説家を目指し、うすら煤けた小部屋で一心不乱に作品を書きながら、暇さえあれば近隣の立ちんぼを連れ込み、日に2〜3人のハイペースでなで斬りにしていた伝説の性豪。
あれから20年以上経った今もなお、文壇デビューの気配が一向にないのはいいとして、それでも私が「先生」と呼んでしまうのは、常人離れした彼の「性への探究心」にリスペクトするところが大きい。
そんな岡本先生の記憶力は(ある一部分において)天才を超越している。これまで性行為をした無数の売女については、名前とSEX回数が完璧に脳内インプットされており、
「先生、ノーイとは何回SEXしたんですか?」
「42回!」
というように、一秒以内に正確な回数を誤差なしで即答。SEXだけではなく、主要な女子アナ(先生の夜のおかず)ごとに、これまでオ●ニーをした回数を即答するというミステリアスな特技もある。
惜しむらくは、そんな質問を発する人間が私以外、滅多にいないことだが……。
今回はそんな岡本先生と会うため、彼が暮らしている取手まで足を運んでみた。
コラム:かつてヤワラーは作家のたまり場だった
80〜90年代ヤワラーには手頃な価格の安宿が密集し、台北旅社やジュライホテルなど多くの日本人宿が存在していた。当時はドラッグや売買春が蔓延する治安の悪いエリア。一方で、その混沌とした雰囲気に惹かれた多くのクリエイター志望者が長期滞在し、後に旅行作家・小説家・写真家として活躍することになる。実際に下川裕治や谷恒生、小林紀晴などが著書のなかで当時の様子を記している。ちなみに、岡本先生が泊まっていた台北旅社は連れ込み宿でもあった(ニホンジンドットコム編集部)

おぞましきスコアブック
『葵 徳川三代』『独眼竜正宗』などの作品で知られ、人気脚本家として一世を風靡したジェームズ三木は、自らが性行為をした173人の女性について、相手の容姿や性器の状態を『春の歩み(或る美青年)』と名付けたノートに書き記し、密かにまとめていた。
──ベタベタと、濡れ過ぎるやうな、ダラシない性器──
といった具合に、古典的仮名遣いを交えつつ詳細に記録したそのノートは、後に離婚する妻の手によってマスコミに暴露され、それが転落のきっかけとなってしまうのだが、こと性欲においてはジェームズ三木を凌駕する我らが岡本先生。
SEXの詳細をすべて書き記す
彼もまた、これまで交わった女性とのSEXを漏れ無く小汚いノート(通称・スコアブック)にまとめている。その数、なんと数千人というから驚きだ!
ボロボロに風化しかけたスコアブックを開いてみれば、離婚した元妻。北海道で偶然ベッドを共にした行きずりの女。川崎で童貞を捧げたソープの女。この3人を除いて、全部が全部、タイの商売女という偏りっぷり。
震える指でページをめくるも、そこにジェームズ三木的な趣はなく、女の氏名、年齢、出身地、サービス、支払い金額、発射までの時間、満足度、その女との通算性行為数、果ては出し入れした回数などのデータが、ただひたすら機械的・エクセル的に集積され、果てしない砂漠のように続いている。


日常のすべてを病的に記録
SEXにとどまらず、家計簿、吸ったタバコの本数、ぼやき、4コママンガ、極秘のビジネスアイデア、自作の詩まで。直径3ミリの小さな文字でびっしり記された恐るべき情報量。
12年前の今日に喰った朝飯の副菜も、ノートをひもとけば一目瞭然。ああ、森羅万象。これはもはや、自らの半生そのものを数字と記号で偏執狂的に表現した、ひとつのアート作品と言えなくはないか?

岡本先生の現在の自宅風景
茨城県・取手市内。母親が建ててくれたという岡本邸の前庭には、南米を思わせる背の高い雑草が生い茂り、玄関には大量のオロナミンCや缶コーヒーが箱で積んである。
近所のファミリーマートで働く女店員の気を引くため、タバコ百カートンはもとより、中国人顔負けの爆買いを繰り返した結果、家中が倉庫のようになってしまった。
広々とした居間は、大量のゴミと買い置きの物資に床を覆われ、夏はゴキブリが大量発生。
そんな荒れ果てた居間の中心で、新作の執筆と株式投資(※)に励み、昔ながらのカセットテープに歌や独り言を録音。自信作ができるたび、主要レコード会社に送りつけたりもしているそうだが、返事が来たことは一度もない。たぶん、カセットテープを再生できる機械が無いのであろう。そうに違いない……。

血染めのサインボール
岡本先生は気が向けば、スポーツ用品店で購入した野球のボールに自分の名前をスラスラとローマ字で書き、オリジナルサインボールを作る。理由を訊ねると、
「私にはすでに3000回を超えるSEX経験があるでしょ。野球の世界に例えるなら3000本安打を達成したに等しいわけですよ。だからサインボールなんです」
自慢は早見優の超至近距離でオ●ニー
壁には北朝鮮にとっての金正日さながらに、早見優の肖像画が飾られている。
90年代を代表するアイドルだった早見優は、先生にとっても特別な存在。ハワイで行われたコンサートにも付いてゆき、早見優の真下の部屋に宿泊。(間に天井はあるが)僅か3メートルという超至近距離でオ●ニーしたのが自慢である。
料理はプロ並? エクストリーム・クッキング!
そんな岡本先生の虜となった私は、この英雄が歴史の陰に埋もれてしまうのを傍観するに忍びなく、使命感に突き動かされるまま、年に数度は彼の自宅を詣で、日常の様子を撮影し、映像を貯蔵している。
キッチンには食材が並ぶ。
厨房に立つ岡本先生。
見事な手さばき。
グツグツ……。
味見をする先生。
なんか謎の物体(料理?)が出てきた。
近況を語る岡本先生。
あれ……。
もしかして……歯がない?
入れ歯でした。
夢は作家・歌手。狂気と正気のはざまで
あるとき、先生がオ●ニーとSEXについてたっぷり語り尽くした1時間ほどの映像をDVDに焼き、本人にプレゼントしたところ、先生はそれを、今年85歳になるという裕福な伯母さんに送りつけ、思わぬ贈り物を手に入れた。
「伯母さんからは、もう送ってこないで……って電話が来たよね。その電話の後に、うなぎの蒲焼きが10人前届いたよ」
こういう事を書いていると、黒沢はかわいそうな人をオモチャにしているとか、遊んでいるとか何だとか、想像力に乏しい連中から脊髄反射的な義憤をぶつけられることがままある。だが岡本先生は、広い庭のある4LDKの持ち家にひとりで暮らし、悠々自適の生活を送る裕福な勝ち組だ。
将来は有名になりたい
先生が望まないならともかく、本人は作家や歌手を名乗り、大量の作品を量産し、有名になりたいという熱い思いを常時胸に秘めている。
同じ表現者として、彼の気持ちは痛いほどよくわかる。そんな岡本先生から目をそらし、黙殺し、あまつさえ「そっとしておけ」とお節介を焼くのは、先生と社会とのつながりを絶ち、廃人扱いするのと変わらない。
常人には理解できない特殊なアートも、しつこく発信し続けることによって、その価値を認める人の目にとまる。
岡本作品をプロデュース!
私はそんな思いから、先生がカセットテープに吹き込みまくった謎の歌をオーディオCDに焼いて出版。さらには岡本先生が最大の自信作と豪語する『ノーイとの35日間』の生原稿を残らずスキャンし、全編手書きの状態で電子出版。返す刀で、例のSEXスコアブックも『真夜中のバンコク 買春親父の記録ノート』として同様に売り出した。
今はまだ売れなくていい。この超人をプロデュースできる幸運を神に感謝しながら、毎日できる範囲で応援している。
来夏は、大阪で消息不明となった3人の遺体が発見された山梨県都留市の某キャンプ場を借りきり、初の単独コンサートを計画中である。皆さんもぜひ、応援に駆けつけてほしい!
(撮影・文/クーロン黒沢)
月3万円のアフィリエイト収入。カンボジアの貧困スラムで暮らす全盲日本人、井上さんの話
訃報(2016年10月12日 追記)
こちらの記事でご紹介した井上さんですが、2016年9月26日未明、心不全のため亡くなりました。糖尿、コレステロールによる心筋梗塞、腎機能の低下などが疑われていましたが、カンボジアの病院では解剖されずに原因特定まで至らず、心不全ということで処理されたということでした。
カンボジア激動の時代を生きた井上さんに、心よりの御冥福をお祈り致します。
2016年10月12日 16:40 ニホンジンドットコム編集部一同
これを書いている今も、吐き気と頭痛が収まらない……。
クーロン黒沢です。普段はプノンペンに住みながら「シックスサマナ」という雑誌型の電子書籍で編集長を務めています。
逆境で暮らすたくましい日本人を観察するのが私の日課ですが……先日、ひどい目に遭ってしまいました。
——プノンペン、ステミエンチャイ地区。つい数年前までプノンペン最大のゴミ処理場があった場所だ。地平線まで広がるゴミ山脈。周りのスラムには、ドブネズミの肉を処理する謎の工場や犬の屠殺場などが点在する。
そんな込み入った路地の一角に佇む、ねずみ色の三軒長屋。朽ちかけた鉄柵を開き、通路の奥にある監獄のような鉄扉を叩くと、ひと呼吸置いて甲高い声が響いた。
「あぁ、黒沢さん。どうぞ……」

カンボジアの売春村で暮らす日本人
開いた扉の向こう側は、ブラックホールさながらの暗闇。その闇の中からぬっと顔を突き出したふくよかな男こそ、今回の主役、井上さんである。
50代半ばと思えないフサフサの黒髪。上半身裸、サルマタ一丁の井上さんは、何を隠そう元エリート商社員。20数年前、出張先の台北であてがわれた娼婦から教わったキメセク(編注※危険ドラッグをキメながら性行為に励むこと)でサラリーマン生活の限界を見てしまい、辞表を提出。インド、タイを放浪した後、当時は無法地帯だったカンボジアに漂着した。
井上さんが棲み着いたのは、世界各地からあらゆる趣向のヘンタイが集まり、東洋のソドムとあだ名された悪名高いプノンペン郊外の売春村。その村の奥に広がる、通称「うんこ池」のほとりで、トイレすらないあばら家を5万円で購入。ひっそりと自由を満喫するうち、気がつけば所持金が底を尽いていた。
所持金が底を尽き、違法な商売で稼ぐ
快楽の殿堂とあだ名された村の真ん中で、スカンピンの井上さんは飲み水さえ事欠く始末。絶望して天を仰ぐや、茂みの奥に高々と群生する見覚えのある植物を発見する。
試しにそれを摘んで、干して、売春村を訪れる外国人に見せたところ、端から飛ぶように売れ、あやうく命拾い。彼のあばら家は村を訪れる人々からホワイトハウスならぬ「井上ハウス」と呼ばれ、風俗案内所のような役割で親しまれるのだが……。
そんな彼が複数の国際機関から「極悪人」と非難され、24時間体制でマークされ、逮捕されるまでの壮大な経緯は、きりがないのであっさり省略させていただく。興味のある方は「シックスサマナ 第3号 日本に殺されるな」をご覧いただきたい。
盲目の怪人、井上さん
数年後、日本で釈放された井上さんは、当時まだ珍しかったアダルト系アフィリエイトサイトに興味を持ち、予備知識ゼロでオープン。
ビギナーズラックか、元来の凝り性がなせる技か、オープン2ヶ月後にはGoogleの「お●んこ」検索結果で堂々トップを獲得。銀行口座には毎月、サラリーマン時代の収入を余裕でぶっちぎる大金が振り込まれるようになった。
アフィリエイトの収入でベトナムへ
この収入を元に、念願の日本脱出を決意した井上さんは、ベトナム南部の農村地帯を探訪。ある小さな村の農家に間借りするや、10数台のPCを運び込み、村唯一の光ケーブルを引くと、農家の主人が怯えるにも構わず、アダルトサイトを更新しまくった。
連日パソコンの前に座り、大量のコーラをラッパ飲みしながらのエンコーディング作業。
夜になると目はかすみ、疲れ目と思いきや、しばらくすると片目が見えなくなっていた。不摂生の挙げ句、重度の糖尿病を発症したのだ。
このとき慌てて病院に駆け込めば、ひょっとすると最悪の事態を免れたかも知れない……が、何事も冷静かつ楽観的な井上さん。「片目が見えれば仕事は出来る」と前向きに割り切り、そのまま放置。結果、翌年には辛うじて見えていた反対側の目も失明し、遂に全盲となってしまった……。

全盲になりカンボジアに再渡航
50を過ぎて視力を失った井上さんは、紆余曲折の末、終の住処(ついのすみか)を心のふるさとであるカンボジアと決め、プノンペンに移り住んだ。
まるで目の見えない状態で、カンボジアのような国に住もうと思う根性も大したものだが、この状態でもなお、毎月3〜5万のアフィリエイト収入をしっかり稼いでいたことにも驚かされた。
失明後は更新も滞り、サイトは既に3年以上放置プレイ。画像や動画のリンクも半分以上切れているが、そんな半死半生のアダルトサイトが、未だ毎月一定額を稼ぎだしているのだ。日本ではメシ代にもならない中途半端な金額だが、プノンペンなら貯金も可。妥協を許さない井上さんは、1泊3ドルという最安クラスのゲストハウスを選びながらも、さらなる安宿を物色。嘘のように安いアパートの噂を耳にしたのは、そんなときだった。

月35ドルでスラムのアパートに入居
プノンペン中心部から少し離れたスラムの一角に、日本人経営の激安アパートがあるという。トイレ・キッチン付き、月35ドルという激安物件には、日本人大家が24時間常駐。望みとあらば色々世話も焼きますよ……とのことで、まさに、これ以上ありえない好条件。
願ったりかなったり……と早速引っ越した井上さんだが、見えない彼はさておき、想像と現実のあまりのギャップに引っ越しを手伝った周りの人間が驚かされた。

ドブネズミが走り回る、手垢だらけの不気味な建物。薄暗い通路の奥深く。どん詰まりの井上部屋には窓が無く、見上げれば屋根が丸見え。雨が降る度、その天井の亀裂からピチャン、ピチャンと水が滴り、嵐が来れば床上浸水。びしょ濡れになった炊飯ジャーにうっかり手をかけ、感電死しかけたことも一度や二度ではない。

普通の人なら半日で逃げ出す物件に、平常心で住み続ける井上さん。流れこんだ泥水で水浸しの部屋のなか、孤島のような寝台の上であぐらをかき、ひたすら読書(パソコンにテキストを読み上げてもらう)に明け暮れる様は、さながら生き仏の感があった。

井上さんよりスゴい日本人大家
そんな生き仏・井上さんが暮らす長屋を仕切るのは、鋼色に日焼けした世捨て人の大家、F谷さん(仮名・70歳)である。
今から15年ほど前、どんな理由があったのか、家も家族も捨て、単身カンボジアに移り住んだ彼は、カンボジア人の中年女性を新しい妻に娶ると、有り金叩いてプノンペン郊外に小さな土地を買い、簡易テントで寝起きしながら「自力で」家を建てた。三部屋しかない長屋は、全部屋貸しても月一万円程の収入にしかならない。そのためF谷さんは全ての部屋を店子に貸し、昼間はぶらぶら、夜は通路で寝泊まりしている(妻とは別居)。
日本には10年以上、一度も戻っていない。本人は多くを語らないが、パスポートは期限切れ。ビザも無い不法移民状態。普段は現地人に溶け込み、日本人であることを悟られないよう、常に上半身裸で暮らしている。
大家のF谷さんが手数料を請求
初めのうちは井上さんの部屋を頻繁に訪れ、何かと世話を焼いていたF谷さん。しかし彼が部屋に入る度、タバコや蚊取り線香、テーブルの上に置いた小銭等が消えるようになり、世話焼きの真意が他にあることが判明する。
次第に本性を現したF谷さんは、何か頼まれる都度、手数料を請求。果ては「散歩に連れて行ってやるから、散歩代を毎月100ドルよこせ」と無茶なオファー。断ると敵意も露わに、あるNGOが井上さんに差し入れたスパゲティを「毒味」と称して横取りしたり、部屋の合鍵を執拗に要求するなど、ささやかな嫌がらせを繰り返すようになった。
とはいえ、アパート以外に収入のないF谷さんが井上さんを追い出しても、結局困るのは自分である。折りに触れ、嫌味を言ったり細かいモノをパクッたりしながらも、出て行かれたらその場で破産という矛盾を抱え、両者ギリギリの均衡が保たれていた。

そんなある日、ずっと空室だった井上さんの隣室に、日本人の年金生活者が入居することが決定した。張り切ったF谷さんは、隣室の改修をスタート。ほとんど廃墟な井上さんの3号室は、それこそ地獄のような有り様だが、F谷さんに修理を訴えても「見えないんだからどうでもいいだろ」と釣れない返事。しまいには「メクラのくせに生意気だ」と、差別丸出しのNGワードをわめく始末。さすがは戦中生まれ……。
事件勃発「このままでは殺される」
その日の夜、井上さんの部屋に猛烈な刺激臭が立ち込めた。
激しい頭痛と猛烈な吐き気。全盲の井上さんには、何が起きたのか理解できない。……舌は痺れ、冷や汗が流れる。ちょっとやそっとじゃ動じない井上さんが、このときばかりは悲鳴を上げた。ありったけの大声でF谷さんに異常を訴えると、「隣室に殺鼠剤を撒いただけだからギャーギャー騒ぐな」と機嫌の悪そうな声で怒鳴られ、本人は散歩に出掛けてしまった。問題の薬は、建物のネズミが絶滅するほどの代物。
スラムの井上さん救出作戦!
私が井上さん宅を訪れたのは、ちょうどそんなときだった。
窓もない密室は、逃げ場のないガス室。ケミカルな刺激臭が充満する暗闇の中(全盲なので照明は点けない)、パンツ一丁で激しく咳き込み、一睡もせず朝を迎えた井上さんはすっかり弱っていた。
部屋にはネズミの死骸が散らばり、腐敗臭と刺激臭で目も開けられぬ有り様。事情を聞いて辛うじて踏みとどまったが、心の中は今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「井上さん、こんな所にいたら殺されるよ。引っ越しなよ」
声を細めて(壁一枚隔てた廊下でF谷さんが耳をすましている)すすめるも、すぐには逃げ出せない事情もある。
「僕、どうせ見えないし、部屋はどうでもいいから、浮いたお金でムフフなお店に行きたいんです。その方が幸せなんですよ」

このままでは命が危険
安くて条件の良い物件は郊外に点在しているが、人の少ないエリアは治安が悪く、特に障害者はターゲットにされやすい。
比較的安全で快適なプノンペン市内の物件は、最低でも月150ドル程度。それより安い物件はこの長屋のように、何かしら「安いなりの理由」がある。節約第一。安全よりも安さを重視する井上さん。彼の部屋選びは前途多難だ。
「そんなこと言って、殺されたらどうするの……。そうだ! 良いこと思いついた!」
クラウドファンディングを発案
私の頭にひらめいたのは、ネット上に乱立するクラウドファンディングサイトだ。その手のサイトの「ソーシャル」カテゴリを見れば、日本をはじめ世界の貧困国を舞台に、貧しい人や社会的弱者に何かを与え、自立を助けるご立派なプロジェクトがずらりと並んでいる。
今回の案件をそうした枠に無理やりはめ込み「さわやかに」プレゼンできれば、井上さんの引っ越し費用を投資家から調達することも夢ではない。
「僕なんかに寄付する人、いないですよ」
井上さんはそう言うが、両眼失明というハンディに加え、そこらのカンボジア人より確実に貧しく、危険な場所で暮らしているのはまぎれもない事実。
プノンペン市内には井上さんの他にも、凄まじい武勇伝を持ちながら時節に恵まれず、霞を食って生きている英雄が何名もいる。
彼らだって同じ日本人。その存在が社会から無視されたままでいいわけもないだろう。
クラウドファンディングの金で適当な物件を借り上げ「梁山泊」と名付け、井上さんを筆頭に、在野の英雄・豪傑を食客として招き、平成の孟嘗君(※)を目指す……。
今年の私はそんなことを計画しています。
※孟嘗君
中国戦国時代の政治家。一芸あれば何者をも拒まず、数千名の食客を養っていた。