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ネオヒルズ族、情報商材、出会い系サクラ。情弱を喰い尽くして年収4000万〜オレオレ詐欺、実行者たちのその後

 関西の有名私大出身の堀田(仮名)は、在学中に経験したボロ儲けアルバイトの成功体験を忘れる事が出来ず、その後はオレオレ詐欺に手を染め、今や立派な反社(=反社会)の人間に成り下がってしまった。そんな堀田は、年収4000万以上を稼いだ過去を持つ。

 「オレオレ詐欺、実行者たちのその後」第2弾は、知る人ぞ知るネオヒルズ族の界隈にまつわるキナ臭いエピソードだ。

Bad boy
かつてオレオレ詐欺に手を染めていた堀田(仮名)。某所のホテルにて、これまでのビジネスを事細かに語ってくれた

 ——午後19時、東京・六本木通り沿いの薄汚い雑居ビル4階の貸し会議室。

 殺風景な部屋に並べられた長机に座るのは、金髪でヤンキー風の格好をした若者から、くたびれたサラリーマン、水商売風の女性に、数ヶ月後に大学を卒業予定というフレッシュマン、初老の男性まで、まさに老若男女である。それぞれノートパソコンやメモ帳、ペットボトル入りの飲み物をテーブル上にセットして“その時”を待っている。

 予定時刻を5分程過ぎて颯爽と現れたのは、紺ストライプのスーツに、真っ赤なネクタイ、トム・フォードの伊達眼鏡にオールバックという出で立ちの堀田であった。

「はーい!みなさん、こんばんは!ようこそお越し下さいました!」

 弾けんばかりの、だが一発で作り笑顔とわかる堀田は、会場のひとりひとりを見回すと、大きく深呼吸をした。全ての動作がオーバー気味で、まさに新興宗教のノリを彷彿とさせるテンション。教祖・堀田の一挙手一投足に、老若男女から熱っぽい視線が向けられる。

 これだから情報弱者はチョロい。堀田は心のなかでほくそ笑んでいた。

情報弱者を食い尽くす生き方

 ——堀田は19歳、大学2年のときに、いわゆる出会い系サイトのサクラのアルバイトを始めた。彼が通う大学のキャンパスがあった滋賀県には、とにかく遊べる場所がなかった。遊びといえば合コンかゲームセンター、そして風俗くらい。そんな単調な日々に嫌気がさし、先輩の紹介で始めたのがサクラのバイトだった。

「ヤレそうなオンナのフリして、男を騙すんですよ。とにかく面白い仕事でした」

 大学を卒業後、堀田は東京の大手通信会社でSEの仕事についたが、自慢でもあるタイピングの早さは、サクラのバイトで身に付いたものだという。

「最低でも5人、多い時は同時に20人くらいの相手をするんですよ。それぞれ“女のコ”の設定を書いたメモをパソコン周りに貼って、客の男たちへメッセージを送り続けます。だから、死ぬほど早くタイピングしないと間に合わない」

 堀田はこのアルバイトを始めてから、月収が60万円を超える月もあったという。2LDKのマンションへ引っ越し、愛車のトヨタ・アリストを手に入れると、ほとんど学校へは行かず、バイトとナンパに明け暮れる日々が続いた。

Osaka
たまに大阪まで買い物に行くのが楽しみだったという

 しかし、そんな堀田が就職したのは堅い堅い大手通信会社の子会社。

「収入はバイト時代の3分の2。仕事はつまんねぇし、上司はムカつくし、1ヶ月でやめました」

 2ヶ月ほど貯蓄を食いつぶす日々が続いた後、ネットで見つけた求人情報を元に、東京・池袋の事務所を訪ねた堀田。「高収入」「データ入力作業のお仕事」などと、一見ではサクラの仕事だとわからないような求人情報であったが、堀田の思った通り、それは出会い系サイトのサクラを募集する案内だった。

「業界経験どころか、バイトをまとめるチーフ的な事もやってましたから、その場で即採用。半月くらいヒラのサクラをやって、1ヶ月後には自分のチームが出来ました。3ヶ月目からはインセンティブが30万を超え、月収は50万近くに。やっぱこの仕事しかねぇなと、そう思っていました……」

職場に突然のガサ入れ

 再びサクラの仕事を始めてから半年が経ったある日、いつものように事務所へ行くと、入り口の前にテレビ局や新聞記者が大勢いた。間もなくして警察車両が数台横付けされると、事務所の中から、パソコンや電話、大量の書類が運び出された。

 サクラがバレて逮捕されると冷や汗をかいたが、その実は会社の代表が脱税で摘発されたというだけで、捜査が堀田に及ぶ事はなかった。

情報商材販売事業を開始

 一瞬にして食い扶持を失った堀田が、サクラ仲間に勧められて始めたのが情報商材を販売するという事業である。出会い系サイト運営会社にストックしてあった、数百万単位の大量のリストを活用し、ありとあらゆる情報を“商材”としてメールで送りまくった。

「出会い系サイトに騙されるような連中ですから、モテる方法とかオンナを落とす方法、他にも投資情報やギャンブルで勝つ方法など、連中が欲しがりそうなネタを情報にして売るんです。値段も数千円レベルから十数万するものまでありましたが、これが結構売れました。中身? そんなの本を1冊か2冊買ってきて、適当に小見出しやキャプションを拾ってPDFにするだけです」

ネオヒルズ族の有料セミナーに参加

 原価がほぼタダに近い「情報商材販売」事業。当然、参入する業者が増え出し、共倒れを予感し始めたとき、ネオヒルズ族を名乗る数人の男たちの存在を知った。堀田はすぐに彼らが開催する有料セミナーに参加し、彼らがやっている事がまさに「情報商材販売」と何ら変わりがない事に気が付いたのである。

「彼らの事業の中核はアフィリエイト広告です。自分のサイトにとにかく多くの人を呼び込み、広告をクリックしてもらう。とてもビジネスだといえるものではありませんが、可能性を感じました。自分自身を商品化して人を惹き付けてさえいれば、客が僕の噂をどんどん広めてくれる。僕に興味を持ちサイトに訪れる人がネズミ算式に増えて、広告収入も増える。これもほとんど元手がいらないんです」

SNSを利用した偽りの成功者

 今回、堀田がネオヒルズ族ビジネスの内幕を披露する理由は後述するが「何人かの人生は確実に潰した」と呟くように、そのやり口は情報弱者に狙いを絞った悪質極まりないものだ。堀田にとって、情報商材ビジネスで培ったノウハウがそのまま活かせるネオヒルズ族になることは、そう難しいことでもなかった。

「金持ちになりたいか、モテたいか、有名になりたいか……誘い文句は何でもいいんです」

 堀田がまず取り組んだのは外見作りだ。海外ブランドのデニムにYシャツ、ベルトや靴、そして欠かせない高級時計を準備し、ヘアサロン併設型のスタジオで宣伝用の写真を撮った。

 国内外の高級車をレンタカー屋で借り、六本木や銀座、汐留のイタリア街で車の前にたたずむ自分の姿、シャンパンや高級ワインの瓶を使い回しての日々の食事の様子など、偽りの成功者の姿をブログやフェイスブックにアップしまくった。

Party
夜な夜なド派手なパーティを繰り返していた

 有料セミナーにも数回通い、有名だとされるネオヒルズ族の先輩との写真を撮り貯めて仲間アピールをする。

 そうこうしていくうちに、SNSにコメントが付くようになり、読者が100人、200人と増えていった。端から見ればネオヒルズ族の一員だったかもしれない。

Fake rich
高級車リムジンに絶世の美女を同伴するなど、豪華な生活ぶりをSNSにアップ

手っ取り早く稼げる有料セミナー

「フェイスブックなどSNSへの1回の投稿に10コメント程度付くようになり、読者が1000人を超え出すと、ブログに来る読者がガツンと増えます。僕の場合、自分を偽ってブランディングするより、手っ取り早く有料セミナーで稼ぎたいと思いました」

 とはいえ、参加料6000円の第1回セミナーには5人しか集まらなかった。

「この5人にメシを食わせ酒を飲ませ、とにかく可愛がった。この5人がセミナーの様子をSNSでアップすると、2回目は10数人に参加者が増えた。この間に、100万近く使ったと思いますが、コメントもブログ読者も一気に増え出しました」

 堀田は、最初の5人が若くてやる気のある連中だったから成功した、と述懐するが、セミナー参加者は回を追う毎に増え、参加費用も2万円以上を要求するまでになる。

 ここで堀田の脳裏をよぎったのは逃げ切りという言葉だ。「いつまでも出来る仕事じゃない」。そう悟った堀田は、最初の参加者の内の1人で、右腕として慕う内山のアイデアから、さらなる情報弱者探しを画策する。

「内山はオレオレ詐欺の経験があり、名簿屋とも仲が良かった。多重債務者や結婚相談所に登録している人物、お見合いパーティー参加者の名簿を流してもらい、ピンポイントで集客してみようという事になった。これが大当たりし、商材を出せば20本以上が売れ、セミナーには50名を超える人間が押し寄せた。貧乏人やモテない男、そんなんばっかだから、とにかくこっちの思うがままに事が進む。おいしすぎました」

 当然だが、ごくごく稀なケースを除けば、こんなセミナーに参加したところで何のノウハウも得られない。人を騙し続けるという、ある意味での心臓の強さを持っていれば話は別だが……。

オレオレ詐欺の受け子の派遣会社を設立

 堀田は、このような手法を用い1年で4000万近い現金を集めると、新たに別事業としてオレオレ詐欺の受け子(※)を派遣するための法人を立ち上げた。

オレオレ詐欺の受け子……ATMから振り込ませるのではなく、実際に被害者のもとへ出向き現金を受け取る役。

 受け子たちは、もちろん堀田や内田がセミナーなどでリクルートしてきた連中だ。現場への1回の派遣で5万から8万の報酬が出て、受け子に渡すのは1万から2万。割にあわない危険な業務だが、取っ払いで貰えるカネは多重債務者にとって喉から手が出るほど欲しいことを逆手に取ったものだ。

 堀田が内山にさえ行き先を告げず、WebサイトやSNSを全て消し去り、海外に身を隠したのは法人の立ち上げから半年ほど経ったときだった。

東南アジアの片隅でむなしい日々

「どの仕事も、普通に考えれば“仕事”などと言えるもんじゃありません。かといって真っ当なサラリーマンになんか絶対になれません。日本で手っ取り早く稼いだカネの半分を投資に回し、4分の1を使って東南アジアに拠点を置くWeb企業を買収しました。もう日本に戻る予定はないです」

 堀田が買収したWeb企業、それは日本国外から配信される日本向けアダルトサイトの動画を無断で転載して広告収入を得るという、これまた違法行為が主な業務。それでも堀田はいう。

「出会い系のサクラもオレオレ詐欺も、セミナーでも、もちろん人間との接触が必須でした。相手をだまくらかすことに多少の後ろめたさがあった。でも今は、人とまったく接さずに過ごせています。俺たちに騙された人の事もたまに思い出しますよ。彼らは俺みたいに日本に住めないワケでもないし、いくらでも普通の生活に戻る事が出来ますよね。そう考えると、俺の人生はサクラをやった事で全てが変わっちゃったんじゃないかなって。ぶっちゃけ、毎日がむなしい」

 彼に同情する理由はこれっぽっちも無いが、筆者に吐露する堀田の後悔の言葉は、消え入りそうなほど小さく、悲し気に響いた。

(取材・文/北宮マサル)
End

狙われ続ける老人~オレオレ詐欺、実行者たちのその後

 東京・蒲田駅前に現れたのは、驚くほどに地味な……というより、普通のサラリーマン然とした藤森(仮名)の姿だった。

 埼玉県西部の出身で、中学卒業の頃には池袋近辺でカラーギャングの一員として少しばかり名を馳せた藤森も30歳。たしかに落ち着いても良い、落ちつくべき年齢になった。

「お久しぶりです。仕事? まあ相変わらずですね」

 そんな藤森だが、数年前に社会問題となったオレオレ詐欺に関わっていた。多くの老人から金を騙し取り、逮捕歴もある。いまでこそ手口が知られ、オレオレ詐欺は不良たちの間でも流行らないビジネスとなった。

 では、彼らはその後、どうしているのだろうか。筆者が見てきた何人かの人物、その現実の姿を数回に分けてお伝えしていこうと思う。

グレービジネスで大金を手にした若者

 ——筆者が藤森と初めて出会ったのは、私が20代半ばで彼が20歳そこそこの頃。六本木のクラブ取材で女性客のスナップを撮っていたときに、酔っぱらって絡んできた5、6人の中の1人が藤森だった。

Club 01
筆者が撮影していた女性客のスナップ写真

 アルマーニやらサンローランのロゴがデカデカと入った黒いTシャツに、ドルチェ&ガッバーナの白いパンツ、アクセサリーはクロムハーツ。肌は焼けて、金髪の短髪。藤森たちのスタイルは当時、金融系ファッションとも呼ばれていて、セカンドバッグを小脇に抱えながら、中古で買ったセルシオやシーマに乗り込むのが彼らのステイタスだ。

 当時、藤森らはあるビジネスで大成功を収めていて、独身にも関わらず、東京郊外に3LDKのマンションまで所有していた。格好だけでなく、飲み食いに使う金額だって毎回万単位。

「仕事っすか? 不動産つーか、リフォーム関係っす。いやあ、儲りましたけど、もうダメっすね。俺、仲間と芸能事務所立ち上げるんで、こうやって夜の街で人脈作ってるんすよ」

Club 02
クラブは藤森が人脈を作るための主戦場だ

床下換気扇を老人に売る仕事

 藤森ががっぽり儲けた仕事。それは当時、問題視され、報道でも大きく取り上げられた「床下換気扇」を各家庭に売り込んで歩く仕事だった。

 一人暮らしや老人だけの世帯と思われる一軒家を訪ねて周り、床下に湿気が溜まっているだの、このままでは家が崩れるだの、家の資産価値がゼロになるなど適当なことを言って、一台十数万円もする換気扇の設置契約を取る。

 不安にかられた老人は格好の餌食となり、中には十数台もの換気扇を設置するハメになった被害者もいた。

「換気扇の効果なんてわかりませんけどね、まあ老人たちも安心するし、俺たちは儲るしウィンウィンでしょ」

 抜群の営業成績で年収2000万円以上を得ると、家も車も、愛する妻と子供も手に入れた。それって詐欺じゃん——冗談っぽく言った筆者の言葉に、藤森はムキになって反論する。

 「寂しい老人の話し相手にもなってる。キャバ嬢と変わらない、サービス業みたいなもんですよ。老人も納得して買っているんだから、詐欺ってことはないでしょう!」

藤森につきまとう悪い噂

 藤森はその後、本当に芸能プロダクションを立ち上げ、代表取締役に就任。一時期はモデル(といっても読者モデルレベル)を十数人抱えて、雑誌やラジオ局に営業する日々を送っていたが、評判は芳しくなかった。

 旧知の中堅プロダクション関係者からは「営業か恫喝かわからない。まるでチンピラ」と早々に素性を見抜かれ、弱小出版社の編集者にカネやオンナを抱かせて仕事を取る営業方法への悪評も、業界中に瞬く間に流れた。

 かくして藤森とは数年音信不通になったが、噂は絶えず流れて来た。JKカフェをやって女子高生・中学生に売春させている、危険ドラッグの卸売りをやっている。

 そして、オレオレ詐欺の事務所を立ち上げた——。

Fujimori
ハイブランドのダウンジャケットをまとい、黒ずくめのファッションで固めた藤森の姿

誰かを不幸にすることでしか稼げない

 嫁も子供もいた藤森が必死だった事は理解できなくもない。だが、どうしても真っ当な仕事に就けない。真っ当な仕事をしようとしても、どこかで何かが狂ってしまう。かつて藤森は「ウィンウィン」といって自身を正当化しようとしたが、結局誰かを不幸にして、誰かから搾取してしか生きる事が出来ない。どんなに着飾ってみようと、それが藤森の真実の姿だったのだ。

 その後、何らかの理由で検挙されたとの噂がたったかと思うと、藤森のマンションが売りに出されている事も発覚。嫁子供はもちろん、藤森についての情報も、噂を含めてプッツリ途絶えたのだ。

 また、藤森が知人数人からそれぞれ百万単位でカネを集めていた事も判明。投資や起業、そんな言葉をチラつかせて、近しい仲間たちから集めたカネは一千万近く。絶対に儲ると乗せられた挙げ句サラ金に手を出した者もいて、藤森はお尋ね者として手配されたが、彼の居場所を、誰も突き止める事は出来なかった。
 
 ヤンキー、ギャング、そして詐欺師という生き方において、藤森は「仲間」の大切さを常に口にしていた。彼が気づかないフリをしていようとも、やはり「騙し」や「搾取」が頼りの世界に身を置いてるが故に、絶対に裏切らない仲間だけが財産だったはずだ。

 しかし、ついに藤森は、唯一の財産までも投げ捨て、仲間の前から消えたのである。

詐欺師として生きた男の現在

 ——もうほとんど藤森の存在など忘れかけていた2016年はじめ。見慣れぬアドレスから送られてきたメールを見て、思わず声をあげた。藤森からのメールだった。

 ご無沙汰しております、と始まるメールの内容は「パンフレットの制作をしてくれる人を探している」というもので、出来ればそれを筆者にお願いしたいとのこと。末尾には法人と思われる株式会社名に、藤森の名前には営業本部係長という肩書きも確認出来る。法人名でネット検索すると、どうやら葬儀関係の業務を行う会社らしいが、判然としない。

 とにかく会って欲しい、とせがまれ赴いたのが、冒頭の蒲田駅である。

 適当な居酒屋を見つけて入ると、乾杯をする間もなく、ビッシリと文字が印刷されたA4用紙を取り出し「ビジネス」とやらの話を始める。

「色々あったんですけど、家族もバラバラになっちゃって、一から出直そうと、大阪で頑張ってるんですよ。いま、もの凄い調子が良くて、近々東京にも営業所を出します。僕は営業所長としてこっちに戻ってくるつもりです」

 お通しが出て来ても、飲み物すら頼まず延々と仕事の話をする藤森。

 超高齢化社会を迎える日本で、葬儀や墓の事で悩む老人をターゲットとした商売は絶対に需要がある。月々1万円強の掛け金さえ支払えば、万が一の際には十数万円から葬儀が出来て、永代供養の墓の手配まで行う。流行になりつつある合同埋葬や散骨、そういった事も手掛けている……。

 しびれを切らした私が、話を遮り強引に注文を取って、やっとの事でビールジョッキに口を付けたのは、居酒屋に入ってから30分以上も経ってからだった。

ギャラの曖昧な制作案件

「それで、パンフレットお願い出来ないですか? ギャラは……一応、出来を見てからということで、お客さんの反応良ければ、一部あたりの歩合にもできます」

 ほらきた、と嘆息する筆者。じつは以前、押し切られる形で、彼の芸能プロダクション所属のモデルたちの宣材(宣伝材料)作成を引き受けた事があった。

 撮影スタジオやカメラマンの手配、印刷までを任され無事に宣材は完成したが、ギャラは一向に振り込まれず、催促すると恫喝、泣き落としを繰り返し、数ヶ月後に約束の十分の一程度のギャラが支払われた。藤森はすでに忘れているだろうが、筆者はしっかり覚えていたのだ。

新たな被害者を求めて……

 お互いにジョッキ数杯を飲み終えても、しらけ頭でシラフの筆者。酔いの回った藤森は、予想した通りの発言をぶつけてきた。

「老人ビジネスって、中間マージンわかりにくいし、アガリがデカいっすわ。とにかく、客が死ぬまでにガッツリ関係作って、葬儀代奮発してとか遺書を書かせたりしてね。客の孫になりきって毎日頑張ってますよ」

 依頼の件を後日メールで断ると、返信すら来なかった。そして夏頃、藤森の会社への苦情が、消費者生活センターに多く寄せられている事を知る。

 居酒屋を出るとき、筆者は藤森の革靴の先が、ベロっと剥がれているのを見た。シワの目立つシャツの襟は、薄暗い灯りの下でもわかるほど垢で汚れていた。

 死に物狂いで食うための手段を模索している藤森。しかし、一度染み付いた反社会的な感覚という垢は、どんなに強くこすっても、未だしつこくこびりついたまま。新たな被害者を求めて、藤森の流浪は続く……である。

(取材・文/北宮マサル)
Club 03

世帯月収50万円。偽装離婚の夫婦は貧困を盾に生活保護+日雇い給与のダブル受給。生活保護支給日、長蛇の列に何を見たのか

 6月5日午前11時過ぎ。

 関東某所の役所前。約束の時間を30分ほど過ぎてから現れた若い男性は、私の前に小走りでやって来た。

「どうもどうも! 車から子ども降ろすんで、少し待っててください」

 男性はヒップホップ風のオーバーサイズのシャツとデニム、お約束のベースボールキャップ姿。大ぶりのアクセサリーを胸元で揺らしながら、ルイ・ヴィトン製のトートバッグや、ハイブランドの紙袋で満載となったマクラーレン社製ベビーカーを押して戻って来た。男性の後ろには、サングラスに金髪姿の小柄で可愛らしい女性が、1〜2歳だろうと思われる赤ちゃんを抱いて続く。

 端から見ると「若い家族のショッピング」としか思えない微笑ましい光景だが、若い一家の向かう先が、役所の中にある「生活保護」の窓口となれば話は別だ──。

money

生活保護受給者の実態を追う

 年々、生活保護費の受給者は増え続け、いま大きな社会問題となっている。とある役所前には100人を超えるであろう受給者たちが行列をなす。ここ数ヶ月の間、記者として取材を続けるなかで、あるひと組の若いカップルに出会った。詳しく話を聞いてみれば、その実態は想像を絶するものだった……。

Mozaik
役所の前には生活保護受給者の長蛇の列

“ひと仕事”を終えた男性が登場

 

 ──役所の外で待つ事15分。私の所に戻って来た男性は、いかにもひと仕事を終えたあとのような爽快な笑顔でこう告げた。

「寝坊しちゃって何も食べてないんすよ。とりあえず朝メシ、どっすか?」

 そう促されて乗りこんだ彼の車は、年式の浅いトヨタ・ヴォクシー。車内は黒い革製のシートで統一されており、サテン地のカーテンまで施されている。座席のヘッドレスト後部には小さなモニターが埋め込まれ、ディズニーの子供向けアニメが流れていた。後部席には、ベビーシートが対に並ぶ。

 ほどなくして着いたのは、バイパス沿いにある某ファミリーレストラン。毎月5日、要するに「支給日」には、家族でここを訪れモーニングを楽しむのが定番コースなのだという。とても生活保護受給者の日常とは思えないが、男性は悪びれる様子もなく、いかにして現在のような生活をするに至ったか、事細かに解説してくれた。

受給のキッカケは逮捕

 男性は現在22歳。19歳になって間もなくの頃、妊娠をきっかけに当時交際半年ほどだった現在の妻と籍を入れた。中学卒業後“とび職の見習い”みたいな仕事を続けていたが、成人式の直前、ちょうど子どもが産まれるかどうかというタイミングで逮捕されてしまう。

「族(暴走族)仲間の数十人で単車に乗って流し(走行し)てたら、俺らのこと煽ってくる車がいたんすよ。キレるじゃないっすか? 車を止めて、乗ってたヤツを引きずり出してボコってたら、本当に偶然、運悪くパトカーが横を通ってて……」

 男性は煙草に火をつけると、朝のファミレス内に響き渡る大声で、まるで武勇伝を語るかのごとく続ける。

「もう20歳超えてたからね、軽い前科もあった。刑務所はキツいなと思ってたんですけど、子ども産まれる直前だったし、検事さんが不起訴にしてくれたっぽい。ラッキーでしたね(笑)」

 しかしながら逮捕をきっかけにとび職の仕事は一発でクビになり、身重の妻と男性にとって生命線だったわずかながらの収入も途絶えた。当時は夫婦の間に口論が絶えなかった……、と妻も昔話をなつかしむように話す。

「私、片親だから家にも頼れないし、夫の家も全然裕福じゃない。夫とは毎日ケンカは。ぶっちゃけ手出されたこともあった。私も手を出した(笑)。じつはそれで離婚したんですよ」

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夫婦は偽装離婚状態

 思わず「え?」っと声を出してしまったが、今の今まで夫婦だと思っていた目の前の男女、現在は離婚状態にあるというのだ。そして法律上の離婚状態にあることこそが、この夫婦に見える男女が生きていく上での必須の条件

夫婦は事実上、偽装離婚状態にあり、男性、そして妻と子どもはそれぞれ別に生活保護を受給している。

 憲法で「文化的最低限度の生活」が保障されている我が国。生活保護制度を活用することはなんら悪い事ではない。しかし一方で、生活保護費は「誰でも貰える」わけでもない。まして「貰えるなら貰っとこう」というものであってはならないはずだが……。

生活保護費の総額は月35万

 月収、と言えるのかはさておき、一家がひと月に得る生活保護費はいかほどなのか、恐る恐る問う。

「俺は……13万ないくらい。嫁さんの方が金持ち。嫁は子どもの手当? みたいなのがあるから、家賃分含めて20万ちょい」

 合計約35万円。筆者の手取り月給とほとんど変わらない。頭がクラクラしてくるような思いで話を聞いていると、男性はそんな筆者の心情を察したのだろうか、ケラケラ笑い声を上げながらまくし立てる。

「足らない足らない、35じゃ全然足らない。だからね、日払いで職人やってるんすよ。1日出れば1万5000から2万、月に10日出れば15万から20万。だから、家族で使える金は月50万くらいっすよ。まあ、入った金は全部使い切っちゃいますけど」

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生活保護+日払い給与の裏技

 驚きと屈辱から声が出なかった。日払いの給与手渡しならば、収入を得ていることも役所にバレないそうだ。さらに、男性が内緒で働いている「現場」には、生活保護と日払い給与をダブルで貰っている人間が他にも多数いるのだという。

 そして、この制度の穴を突くテクニックは、彼を秘密裏に雇う経営者・通称「オヤジ」が男性に教えたものである、ともいうのだ。

「日払いで入った現場でオヤジと偶然知り合ったんですけど、ぶっちゃけカタギの人間じゃないね。以前はヤクザが生活保護もらって生活するってのがよくあったみたいだけど、法律が変わってヤクザの受給が厳しくなった。オヤジは『元ヤクザだ』と言い張るけど、俺たちみたいなカタギに生活保護を受給させながら働かせて、それをシノギにしてる。月に3万とか5万だけど、オヤジに渡すのがルール」

すべては生活の知恵だ

「ぶっちゃけ結婚なんて、所詮は紙きれ1枚の問題でしょう。それよりもいかに得して生活できるかが大事だと思うんすよ」

 書類上の離婚状態を偽装しながら、実際は夫婦生活を続け、車まで所有しながら生活保護を受給する事について、男性は「生活の知恵」だと言い切った。

「芸人の母親が生活保護を貰ってるって話、あったでしょう? 貰えるなら貰っとけ、みたいな。あのニュース見て、同じようにして生活してる人がたくさんいるんだと安心しましたよ。まあ、いつかはきちんと働きたいですけどね。じつはもう一人、下に産まれたばかりの子どもがいて。嫁さんはずっと働けないじゃないですか」

 こんな事が許されるのか。このような考えを持つ人々がいる一方で、本当に必要としている人々の所に、生活保護が届かなくなっている可能性も十分にある。現実に、生活保護の受給停止や減額という事実に絶望したことで、一家心中に追い込まれたという報道など、救いのない悲劇を目にする機会も少なくない。

貧困を盾にした妻の持論

 男性と私のやり取りをずっと黙ってみていた妻は、卓上のアイスティーをストローで一気に飲み干すと、信じ難いような持論を展開し始めた。

「格差社会っていうじゃないですか。もし実家がお金持ちで、もっと勉強させてもらえればウチらもこうならなかったんです。貧乏人だから、低学歴だからって結婚とか出産を我慢しろってのは人権侵害ですよ? 日本にはお金がいっぱいあって、お金持ちがたくさんいるんですよね。だからこう……助け合いっていうか、別にウチらが悪い事やってるとも思わないし」

 ふと、ヨーロッパ諸国で深刻な状態に陥っている「難民問題」、そして我が国でも高まりつつある「難民受け入れ」の議論が頭をよぎった。富める者と貧する者、強者と弱者、そういった二極論的な思考のぶつけあいで何かが解決するのだろうか。

 夫婦に取材の礼をいうと支払いを済ませ、暗澹たる思いで一人家路についた。

future

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