訃報(2016年10月12日 追記)
こちらの記事でご紹介した井上さんですが、2016年9月26日未明、心不全のため亡くなりました。糖尿、コレステロールによる心筋梗塞、腎機能の低下などが疑われていましたが、カンボジアの病院では解剖されずに原因特定まで至らず、心不全ということで処理されたということでした。
カンボジア激動の時代を生きた井上さんに、心よりの御冥福をお祈り致します。
2016年10月12日 16:40 ニホンジンドットコム編集部一同
これを書いている今も、吐き気と頭痛が収まらない……。
クーロン黒沢です。普段はプノンペンに住みながら「シックスサマナ」という雑誌型の電子書籍で編集長を務めています。
逆境で暮らすたくましい日本人を観察するのが私の日課ですが……先日、ひどい目に遭ってしまいました。
——プノンペン、ステミエンチャイ地区。つい数年前までプノンペン最大のゴミ処理場があった場所だ。地平線まで広がるゴミ山脈。周りのスラムには、ドブネズミの肉を処理する謎の工場や犬の屠殺場などが点在する。
そんな込み入った路地の一角に佇む、ねずみ色の三軒長屋。朽ちかけた鉄柵を開き、通路の奥にある監獄のような鉄扉を叩くと、ひと呼吸置いて甲高い声が響いた。
「あぁ、黒沢さん。どうぞ……」
カンボジアの売春村で暮らす日本人
開いた扉の向こう側は、ブラックホールさながらの暗闇。その闇の中からぬっと顔を突き出したふくよかな男こそ、今回の主役、井上さんである。
50代半ばと思えないフサフサの黒髪。上半身裸、サルマタ一丁の井上さんは、何を隠そう元エリート商社員。20数年前、出張先の台北であてがわれた娼婦から教わったキメセク(編注※危険ドラッグをキメながら性行為に励むこと)でサラリーマン生活の限界を見てしまい、辞表を提出。インド、タイを放浪した後、当時は無法地帯だったカンボジアに漂着した。
井上さんが棲み着いたのは、世界各地からあらゆる趣向のヘンタイが集まり、東洋のソドムとあだ名された悪名高いプノンペン郊外の売春村。その村の奥に広がる、通称「うんこ池」のほとりで、トイレすらないあばら家を5万円で購入。ひっそりと自由を満喫するうち、気がつけば所持金が底を尽いていた。
所持金が底を尽き、違法な商売で稼ぐ
快楽の殿堂とあだ名された村の真ん中で、スカンピンの井上さんは飲み水さえ事欠く始末。絶望して天を仰ぐや、茂みの奥に高々と群生する見覚えのある植物を発見する。
試しにそれを摘んで、干して、売春村を訪れる外国人に見せたところ、端から飛ぶように売れ、あやうく命拾い。彼のあばら家は村を訪れる人々からホワイトハウスならぬ「井上ハウス」と呼ばれ、風俗案内所のような役割で親しまれるのだが……。
そんな彼が複数の国際機関から「極悪人」と非難され、24時間体制でマークされ、逮捕されるまでの壮大な経緯は、きりがないのであっさり省略させていただく。興味のある方は「シックスサマナ 第3号 日本に殺されるな」をご覧いただきたい。
盲目の怪人、井上さん
数年後、日本で釈放された井上さんは、当時まだ珍しかったアダルト系アフィリエイトサイトに興味を持ち、予備知識ゼロでオープン。
ビギナーズラックか、元来の凝り性がなせる技か、オープン2ヶ月後にはGoogleの「お●んこ」検索結果で堂々トップを獲得。銀行口座には毎月、サラリーマン時代の収入を余裕でぶっちぎる大金が振り込まれるようになった。
アフィリエイトの収入でベトナムへ
この収入を元に、念願の日本脱出を決意した井上さんは、ベトナム南部の農村地帯を探訪。ある小さな村の農家に間借りするや、10数台のPCを運び込み、村唯一の光ケーブルを引くと、農家の主人が怯えるにも構わず、アダルトサイトを更新しまくった。
連日パソコンの前に座り、大量のコーラをラッパ飲みしながらのエンコーディング作業。
夜になると目はかすみ、疲れ目と思いきや、しばらくすると片目が見えなくなっていた。不摂生の挙げ句、重度の糖尿病を発症したのだ。
このとき慌てて病院に駆け込めば、ひょっとすると最悪の事態を免れたかも知れない……が、何事も冷静かつ楽観的な井上さん。「片目が見えれば仕事は出来る」と前向きに割り切り、そのまま放置。結果、翌年には辛うじて見えていた反対側の目も失明し、遂に全盲となってしまった……。
全盲になりカンボジアに再渡航
50を過ぎて視力を失った井上さんは、紆余曲折の末、終の住処(ついのすみか)を心のふるさとであるカンボジアと決め、プノンペンに移り住んだ。
まるで目の見えない状態で、カンボジアのような国に住もうと思う根性も大したものだが、この状態でもなお、毎月3〜5万のアフィリエイト収入をしっかり稼いでいたことにも驚かされた。
失明後は更新も滞り、サイトは既に3年以上放置プレイ。画像や動画のリンクも半分以上切れているが、そんな半死半生のアダルトサイトが、未だ毎月一定額を稼ぎだしているのだ。日本ではメシ代にもならない中途半端な金額だが、プノンペンなら貯金も可。妥協を許さない井上さんは、1泊3ドルという最安クラスのゲストハウスを選びながらも、さらなる安宿を物色。嘘のように安いアパートの噂を耳にしたのは、そんなときだった。
月35ドルでスラムのアパートに入居
プノンペン中心部から少し離れたスラムの一角に、日本人経営の激安アパートがあるという。トイレ・キッチン付き、月35ドルという激安物件には、日本人大家が24時間常駐。望みとあらば色々世話も焼きますよ……とのことで、まさに、これ以上ありえない好条件。
願ったりかなったり……と早速引っ越した井上さんだが、見えない彼はさておき、想像と現実のあまりのギャップに引っ越しを手伝った周りの人間が驚かされた。
ドブネズミが走り回る、手垢だらけの不気味な建物。薄暗い通路の奥深く。どん詰まりの井上部屋には窓が無く、見上げれば屋根が丸見え。雨が降る度、その天井の亀裂からピチャン、ピチャンと水が滴り、嵐が来れば床上浸水。びしょ濡れになった炊飯ジャーにうっかり手をかけ、感電死しかけたことも一度や二度ではない。
普通の人なら半日で逃げ出す物件に、平常心で住み続ける井上さん。流れこんだ泥水で水浸しの部屋のなか、孤島のような寝台の上であぐらをかき、ひたすら読書(パソコンにテキストを読み上げてもらう)に明け暮れる様は、さながら生き仏の感があった。
井上さんよりスゴい日本人大家
そんな生き仏・井上さんが暮らす長屋を仕切るのは、鋼色に日焼けした世捨て人の大家、F谷さん(仮名・70歳)である。
今から15年ほど前、どんな理由があったのか、家も家族も捨て、単身カンボジアに移り住んだ彼は、カンボジア人の中年女性を新しい妻に娶ると、有り金叩いてプノンペン郊外に小さな土地を買い、簡易テントで寝起きしながら「自力で」家を建てた。三部屋しかない長屋は、全部屋貸しても月一万円程の収入にしかならない。そのためF谷さんは全ての部屋を店子に貸し、昼間はぶらぶら、夜は通路で寝泊まりしている(妻とは別居)。
日本には10年以上、一度も戻っていない。本人は多くを語らないが、パスポートは期限切れ。ビザも無い不法移民状態。普段は現地人に溶け込み、日本人であることを悟られないよう、常に上半身裸で暮らしている。
大家のF谷さんが手数料を請求
初めのうちは井上さんの部屋を頻繁に訪れ、何かと世話を焼いていたF谷さん。しかし彼が部屋に入る度、タバコや蚊取り線香、テーブルの上に置いた小銭等が消えるようになり、世話焼きの真意が他にあることが判明する。
次第に本性を現したF谷さんは、何か頼まれる都度、手数料を請求。果ては「散歩に連れて行ってやるから、散歩代を毎月100ドルよこせ」と無茶なオファー。断ると敵意も露わに、あるNGOが井上さんに差し入れたスパゲティを「毒味」と称して横取りしたり、部屋の合鍵を執拗に要求するなど、ささやかな嫌がらせを繰り返すようになった。
とはいえ、アパート以外に収入のないF谷さんが井上さんを追い出しても、結局困るのは自分である。折りに触れ、嫌味を言ったり細かいモノをパクッたりしながらも、出て行かれたらその場で破産という矛盾を抱え、両者ギリギリの均衡が保たれていた。
そんなある日、ずっと空室だった井上さんの隣室に、日本人の年金生活者が入居することが決定した。張り切ったF谷さんは、隣室の改修をスタート。ほとんど廃墟な井上さんの3号室は、それこそ地獄のような有り様だが、F谷さんに修理を訴えても「見えないんだからどうでもいいだろ」と釣れない返事。しまいには「メクラのくせに生意気だ」と、差別丸出しのNGワードをわめく始末。さすがは戦中生まれ……。
事件勃発「このままでは殺される」
その日の夜、井上さんの部屋に猛烈な刺激臭が立ち込めた。
激しい頭痛と猛烈な吐き気。全盲の井上さんには、何が起きたのか理解できない。……舌は痺れ、冷や汗が流れる。ちょっとやそっとじゃ動じない井上さんが、このときばかりは悲鳴を上げた。ありったけの大声でF谷さんに異常を訴えると、「隣室に殺鼠剤を撒いただけだからギャーギャー騒ぐな」と機嫌の悪そうな声で怒鳴られ、本人は散歩に出掛けてしまった。問題の薬は、建物のネズミが絶滅するほどの代物。
スラムの井上さん救出作戦!
私が井上さん宅を訪れたのは、ちょうどそんなときだった。
窓もない密室は、逃げ場のないガス室。ケミカルな刺激臭が充満する暗闇の中(全盲なので照明は点けない)、パンツ一丁で激しく咳き込み、一睡もせず朝を迎えた井上さんはすっかり弱っていた。
部屋にはネズミの死骸が散らばり、腐敗臭と刺激臭で目も開けられぬ有り様。事情を聞いて辛うじて踏みとどまったが、心の中は今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「井上さん、こんな所にいたら殺されるよ。引っ越しなよ」
声を細めて(壁一枚隔てた廊下でF谷さんが耳をすましている)すすめるも、すぐには逃げ出せない事情もある。
「僕、どうせ見えないし、部屋はどうでもいいから、浮いたお金でムフフなお店に行きたいんです。その方が幸せなんですよ」
このままでは命が危険
安くて条件の良い物件は郊外に点在しているが、人の少ないエリアは治安が悪く、特に障害者はターゲットにされやすい。
比較的安全で快適なプノンペン市内の物件は、最低でも月150ドル程度。それより安い物件はこの長屋のように、何かしら「安いなりの理由」がある。節約第一。安全よりも安さを重視する井上さん。彼の部屋選びは前途多難だ。
「そんなこと言って、殺されたらどうするの……。そうだ! 良いこと思いついた!」
クラウドファンディングを発案
私の頭にひらめいたのは、ネット上に乱立するクラウドファンディングサイトだ。その手のサイトの「ソーシャル」カテゴリを見れば、日本をはじめ世界の貧困国を舞台に、貧しい人や社会的弱者に何かを与え、自立を助けるご立派なプロジェクトがずらりと並んでいる。
今回の案件をそうした枠に無理やりはめ込み「さわやかに」プレゼンできれば、井上さんの引っ越し費用を投資家から調達することも夢ではない。
「僕なんかに寄付する人、いないですよ」
井上さんはそう言うが、両眼失明というハンディに加え、そこらのカンボジア人より確実に貧しく、危険な場所で暮らしているのはまぎれもない事実。
プノンペン市内には井上さんの他にも、凄まじい武勇伝を持ちながら時節に恵まれず、霞を食って生きている英雄が何名もいる。
彼らだって同じ日本人。その存在が社会から無視されたままでいいわけもないだろう。
クラウドファンディングの金で適当な物件を借り上げ「梁山泊」と名付け、井上さんを筆頭に、在野の英雄・豪傑を食客として招き、平成の孟嘗君(※)を目指す……。
今年の私はそんなことを計画しています。
※孟嘗君
中国戦国時代の政治家。一芸あれば何者をも拒まず、数千名の食客を養っていた。